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人生を変えたボルネオ島との出会い
東南アジア、赤道付近に位置するボルネオ島。私は大学3年生の時にこの地に出会い、4年生の時に初めて訪れました。現在はボルネオ島で作られる民芸品のお店を営んでおりますが、大学生の時に出会ったこの島がその後の人生に大きな影響を与えました。
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ボルネオ島は東南アジア、マレー諸島に位置する世界で3番目に大きな島です。赤道直下に位置するこの島には3つの国の領土、マレーシアとブルネイダルサラーム国、インドネシア(インドネシアではカリマンタン島と呼ばれているそうです)があります。
元々は特に関心のなかったボルネオ島
小さい頃に行ったことがあるわけでもなく、縁があるわけでもなく、興味を持ったこともなかったボルネオ島。大学生で知るまではその地に関しての知識はほとんどなく、せいぜいマレーシアというと、小中学校の地理で天然ゴムの生産国と学んだな…そんなイメージの国でした。
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その後もボルネオ島にとりわけ関心を持つこともなく、大学は経済学部に進学しました。大学1年生の時の私は何かに熱中するわけでもなく淡々と過ごしていました。ただ、海外には憧れがあり、留学してみたいな…と思っていた一人の大学生でした。
2年生になってからも何か新しいことを始めるわけではなく、このまま大学生活が終わってしまうのは良くないと思いつつも変化を起こさない日々を送っていました。そんな時、見かねた母が「留学してみたいって言ってたじゃない。」とプッシュしてくれ、英語圏に数ヶ月間の語学留学をすることにしました。
恩師との出会い
初めて一人で海外に行ったのがこの時でした。ローカルファミリーの家でホームステイをしながら現地のライフスタイルに触れ、語学学校では各国から集まってきた留学生たちと交流しながら学ぶ。この異文化経験が私の海外への憧れを大きくしました。ただ外国の何を学びたいのか、何をしたいのかという具体的な考えはまだありませんでした。
留学から帰国後、大学の授業に戻りましたが、大学生活の送り方に変化が生まれました。漠然とした海外への憧れをより具体化させたいと思い、かねてよりご指導を賜りたく思っていた先生に師事しました。
その先生の下で国際問題や国際協力、多様性について学び、また先生と学生で特定の国や地域を選定し、学び始めることになりました。それが、「マレーシア・ボルネオ島」でした。
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マレーシア・サバ州都コタキナバルの景色。
就職活動か…ボルネオ島か…
小さい頃から漠然と海外への憧れはあったものの、とりわけ「夢中!」「将来、絶対に行きたい!」という国や地域はありませんでしたが、大学でボルネオ島のことを知り、学んでいくうちに虜になっていました。そのうち「ボルネオ島には絶対行きたい!」と思うようになりました。
そして、大学4年生になり、どうしても参加したいボルネオ島先住民の村での国際協力プログラムがありました。しかし、就職活動真っ只中。諦めるべきかととても悩みました。
優先順位を考えたら就職活動。ボルネオ島なんて卒業旅行でも、卒業後でもいつでも行けるじゃないと思いますが、その時の私はどうしても行きたかったのです。逃してはいけないチャンスのように感じたのか、ひきつけられていたのかはわかりませんでしたが、結局私は行く決心をしました。
ますますボルネオ島に魅了される私
初めてのボルネオ島渡航では、先住民ドゥスン人の村に10日間ホームステイをしながら現地活動をしました。当時の村は道路が開通しておらず、熱帯雨林の中をトレッキング。電気やインターネットは通っておらず、稲作や狩猟をする山奥の村での暮らし。何不自由なく便利な暮らしをしていた私には初めての環境でした。マレーシア語も現地語も話せませんでしたが、その土地や文化、暮らし、そこに住む人々にひきつけられていきました。
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サバ州先住民ドゥスン人の村へ
悩み決断したボルネオ渡航でしたが、行ってよかったなと心の底から思いました。10日間という短い滞在が、経験だけで終わるのではなく、深くボルネオ島のこと、ドゥスン人のことを知りたいと思ったのと同時に、海外で何かしたいと思ってもまずはその地域のことをよく知らなければと思いました。
ボルネオ島から帰国した時には引き続き就職活動。すでに就職先が決まっている人もいて、大学院に進学する人は早くから準備をし、合格に向け勤しんでいました。遅すぎると思いながらも私の中では大学院でドゥスン人の研究をしたいと思うようになっていました…(経済学専攻から…!?)。
その後、結局私はマレーシア・ボルネオ島サバ州にある大学院で人類学を専攻し、卒業しました。現在は「ボルネオ島先住民の伝統文化を守り続けたい」という思いから、日本で先住民の作る民芸品店を開かせて頂きました。
「大学4年生の時にボルネオ島へ行っていなかったら、ボルネオ島に関わらない人生があったのか。」、「いずれにせよ、いつの日かボルネオ島を訪れ、その地域に関わることになっていたのか。」
大学3年生でボルネオ島を知り…大学4年生でボルネオ島へ初渡航。20代前半のこの経験が私の人生に大きな影響を与えました。