初めて山奥の先住民の村で暮らす
当時、大学4年生の就職活動真っ只中。私は念願のボルネオ島に初めて訪れました。一番の目的はマレーシア・サバ州に暮らす先住民ドゥスン人の村で10日間、農村生活体験及び国際協力活動を行うことでした。
村についての事前情報は、電気は不安定、上下水道はない、インターネットも繋がらない… 村までの道路は開通していないのでジャングルの中を歩いて向かう。日本で生まれ育ち何不自由なく生きてきた私にはどれも初めての経験でした。登山やトレッキングの経験が全くなかったので、日本でバックパックやトレッキングシューズなどを一式準備して、トレーニングしてから現地へ赴くことになりました。
参加したプログラムのルールで、村では携帯電話の使用は禁止でした。当時の携帯電話は自動で海外の回線に繋がるような機能はなかったので、持って行ったところで使用はできませんでしたが、カメラとしての携帯の使用も禁止でした。そのためデジタルカメラを持参しました…が!電気のない村生活。カメラの充電ができないので、気を付けて撮影をしていたものの、やはり途中で充電が切れてしまいました。ですので、数少ない写真と共に初めての村生活体験記をお伝えさせていただきます。
四輪駆動車とジャングルトレッキングで村へ
目的地の村までは道路が開通していなかったので、切り開かれたところまで四輪駆動車で進み、途中からジャングルに入りトレッキングにて村へ向かいました。バックパックを背負って山道を歩くので、荷物は最小限に。寝袋やレインウェア、着替え、洗剤類、ヘッドライトなどの村生活で必要なものだけを詰め出発!
四輪駆動車に初めて乗車。舗装されていない、ガードレールもない山道に揺られながら奥地へと進んでいきます。この道は現在でも四輪駆動車でしか走ることができません。それでも、雨が降るとぬかるんでとても危険なため、ドライバーの判断で走行をやめることもあります。その時は途中で車を降りて歩くことになります。当時は天候に恵まれ、雨が降ることなく山道を登り下り、川も渡ることができました。
道が切り開かれたところまで進み、四輪駆動車を降りて、いよいよ熱帯雨林の中を歩いて村まで行きます。約3~4時間のトレッキングです。私は完全装備。ガイドさんは慣れた道なので、半袖半ズボンにサンダルで歩いていました!
事前に日本でトレーニングしたものの、まだまだトレッキング初心者の私。周りに迷惑がかからないかとても緊張しました。しかし、熱帯雨林に包まれ、川のせせらぎや生き物の鳴き声を聞き、田んぼや焼畑が広がる風景に心癒され、いつの間にか緊張がほぐれていました。
村に到着。トイレでシャワー
ホームステイをさせていただくお家に到着したら、バックパックを置いて、まずは寝床の準備をしました。マラリア対策で、蚊帳を張ります。みんなで雑魚寝ですが、蚊帳があると個室にいる気分です。
トレッキング後で汗がびっしょり。順番にシャワーを浴びました。村には上下水道が設備されておらず、山林から水を引いてそれを生活用水にしています。そのため、雨が降ると水が濁り、蛇口からはミルクココアのような色の水が!どのお家でも水が濁る前にバケツに水を貯めていました。
グループで宿泊していたのでシャワーが足りず、初めてのシャワーは村の幼稚園のトイレを借りることになりました。便器の脇にある蛇口から水を貯めて、桶で少しずつ浴びました。熱帯の地とはいえ、山奥に位置する村は日中は暑いですが、明け方と夕方、夜はとても冷えます。水がとっても冷たい!日本のように給湯器のボタンを押してお湯が出るわけではありません。水シャワー!最初のひとかぶりはとてもドキドキでした。すぐに慣れます…
村での活動として、まずはシャワールームを建てることから始まりました。村では竹を割って壁や床にしています。村のお父さんから教えていただき、竹を加工。竹の扱いに慣れていない私たちは隙間だらけのシャワー室になってしまいました…!
電気のない生活
村には小型水力発電が設置されていますが、大雨が降らなければ発電されません。私が滞在していた時はほとんど電気の供給はありませんでした。
日が暮れると村は真っ暗です。ホームステイのお母さんは、家のあちこちにロウソクを灯していました。懐中電灯は村生活に必須。ヘッドライトは両手が空くのでとても便利でした。電気がないと自然と眠たくなります…8時頃には就寝していました。
もちろん洗濯機もないので、毎朝手洗いです。十分な脱水ができない状態で乾かすので雨が降ると全く乾きません。速乾性の衣服はとても役に立ちました。
自然の恵みをいただく
ここは山奥の村。スーパーマーケットはありません。電気の供給も不安定なので冷蔵庫も使えません。村の方は、塩や油、麺類、コーヒー、洗剤などの日用品は町で購入していますが、基本的に自給自足の生活を営んでいます。
村では、焼畑農耕と水稲耕作でお米を栽培しています。焼畑で、お米の播種体験をさせていただきました。焼畑は2年目はタピオカ芋を植え、その後は休閑させるため、村の山々には所々に焼畑をした跡が見えます。
山ではイノシシを狩り、山菜を採り、川では淡水魚を獲ります。畑では、芋類や瓜、ササゲ、ショウガ、唐辛子などを栽培しています。もちろんトロピカルフルーツもたくさん採れます!その日や数日の暮らしに必要な分だけの食糧を確保しています。
朝は村のお母さんの作るミーゴレンやナシゴレンをいただきました。小麦と米粉の2種類のミーゴレン。村のお母さんの作るミーゴレンが美味しくて大好きです。今でも村に行くと朝食のミーゴレンが残っていたら、ちょこちょこつまんでしまいます。
昼や夜は山で採れた猪肉や山菜料理、川魚を揚げたものやスープをいただきました。ニワトリを絞め、捌く工程も初めて目の当たりにしました。命をいただくことの重みを感じながら毎日の食事をいただきました。
村の生活体験以外には、建物の改修をお手伝いしたり、村の伝統文化を学んだり、小学生と交流したり、インタビューをしたりしました。マレー語も現地のドゥスン語も話せるわけではなく、ボランティアといっても何か大きなことができるわけでもありませんでした。
今では、第二の故郷ともいえる村ですが、当時は全てが初めての経験で、日本で生まれ育ち何不自由なく生きてきた大学4年生の私をさらにボルネオ島の魅力にひき込み、今後の人生に大きな影響を与えることとなりました。