ヒトウ イロコ
50代のたいして前を向かずに生きていく毎日を書いています。
もくもくと自分を掘り進めて書いたエッセイたち。 エッセイスト・紫原明子さん主宰のコミュニティ「もぐら会」の添削コースで書いたものです。
ヒトウイロコと真城ひろのの往復書簡。
ヒトウ イロコ / 青葉 鈴
コインランドリーにいる時間に書くマガジンです。
「学生時代に(あるいはもっとざっくりと『あのころ』くらいにしても構わない)通っていた思い出深い店」というのは誰しも心の中にもっているのではないかと思うが、その記憶の大部分は提供された料理の味そのものというよりは、その店で過ごした時間や空気そしてその場で起こったできごとや会話など、エピソードの記憶なのではないだろうか。 しかし唯一、20年以上経ってもなお鮮烈に味体験を思い出せるのが早稲田メーヤウのカレーである。少し前に、ちょっと不思議な復活エピソードが話題になったカレー店だ。
週末は宇都宮にいた。友人が市長選に出馬していて、投開票日だったからである。わたしは宇都宮市民ではなくて、おまえ関係ないじゃん、という話だしなにか貢献できていたわけでもないのだが、でもやっぱり応援しているってことが伝わることには意味があると思っている。傲慢な考えなのかもしれないけど、わたしはそんなふうに思うのである。 友人にはじめて会ったのは数年前の取材の席で、若くして地方行政の要職に就き、活躍が注目されていた。話を聞いて、わたしはとてもわくわくした。彼はとても頭の切れるひと
友人と会うために京急線の駅に降り立つと、ホームの壁に沿うかたちで駅ベンチがふたつずつ、たくさん並んでいる。前を向いて並んでいるバスの座席のようなイメージ。向かいのホームにはちょこちょこと人が座っていて、駅のホームにいて線路側を見ないで座っている感じがなんともいえない違和感があっておもしろかった。まったく文章で伝わってない自覚はいま、ある。 無人のベンチを撮ってストーリーにあげておいたら、友人が「うちの最寄駅もこんなかんじですよ」とDMをくれた。つうかその駅のホームです。この
毎晩誰かと会っていて、この人どうかしてると思われるかもしれないが、みんなみんな会いたい相手なのでしかたがない。今夜は中学時代の同級生4人で飲んだ。なかには何十年ぶりかという者同士もいる。じぶんも含めてちょっと何かがおかしい人が4人集まったので異様におもしろい会になった。当然中学時代の話にさかのぼったりもするのだが、「絵里子がさあ、言ってたじゃんあの階段で!」あるいは「みんなで階段で写真撮ったじゃん」「階段の上の天井裏にお菓子かくしてたよね」などと話すのだがそれぞれの言ってる「
友人のアキコさんとタイガさんがバイト先に来てくれた。アキコさんが、コーヒー買っていこうか、と言ってくれて、近所のコーヒー屋さんがおいしいのでおすすめしたところお店のキャラが印刷された紙袋にコーヒーやどらやきをいっぱいに買ってきてくれた。これまでまったく意識したことがなかったのだが店のキャラがいかにも南米然とした風貌で、こんなにインパクトあったのか、と驚く。つくづく、ひとは見たいものしか見ていない。 バイト先はイベントスペースなのでアキコさんにも使ってもらう機会があったらいい
日記が途切れがちで、これはいけない。続けて書くことに意義をおいて書いているからだ。飽きっぽさと根気のなさが課題。 よく利用するコワーキングスペースに行ったらあの男がいたので忌まわしい、と思った。あの男とは、わたしのPCの画面を割った男(といっても過言ではない男)だ。 あいかわらず同じ位置に座り、あいかわらず作業スペースであるはずの席でいつまでもオンライン打ち合わせをしていた。次もそうだったら店に言いつけようと思った。WEB会議ブースもあるんだからそっちを使いなよ。 今日
ああ、めんどうくさい。すべてがめんどうに思えるとき、めんどくせえめんどくせえ、息をするのもめんどくせえ、という台詞がすらすら浮かんでしまうのは世代のせいなので許してほしい。なんか夏に血迷って、海であそぶのにサーフィンとかできたら楽しんじゃね?とかいってサーフィン教室を申し込んだのだが、公教育を卒業して以来さいなまれずにすんでずっと忘れていた、我のどんくささ。これを思い出すはめになり翌日は満身創痍といっていい程度に体中が痛い。もう体力ないんだから無理したらいけない。すべてがめん
わりと縁起をかつぐたちで、とくにフリーランスになってからは、仕事のおかげで屍にもなるが仕事のおかげで生きてもいけるということがいよいよ身に沁みるので、世界のすべてに感謝、という気持ちをお参りという形式をとってアウトプットしている。大なり小なり商いをする者なら意識せずにはいられない、酉の市。かきこみたい、金をざくざくと、熊手で、できるだけ多く。しかし年々大きくしていくしきたりの熊手は自宅にはトゥーマッチだよなと思って、酉の市が立つ神社の熊手守を毎年いただくようにしている。酉の市
山あいの街に住む友人宅に遊びに行った。 目的は湖畔のサウナだ。 夏に遊びに行った際にこんなんぜったい気持ちいいじゃんぜったいいこう、と夏から予約をとっておいたのだ。案の定とても気持ちよかった。樽の形をしたあつあつのバレルサウナを貸し切り、友人たちとべらべら喋りながら熱さに耐え、かんかんに熱くなったら外に飛び出して桟橋まで行って湖に飛びこむ。ざぶざぶと上陸し湖畔のデッキチェアで紅葉のはじまった山を眺めながら涼む。もうしぶんない時間。 この友人宅に遊びに来るといつも、じぶん
風邪をひいたと自覚したとたんに対症療法で症状をおさえこもうと耳鼻科に行き対症療法的な薬をもらってきたわけだが、規則正しく飲み終わってもまったく効かなくてびっくりした。こんなに効かないんだ。おかしいな。前回、マイナ保険証の有効期限が切れてて自費で支払っていたので、払い戻してもらおうと再訪したついでに再診を受けた。先生に「ざんねんながらまったく治っていません」と伝えたところ、先生もわたしの鼻や喉をみて「ほんとだ、全然治ってないね!」とびっくりしていた。薬を変えよう、とか言いながら
友人から「ナイツの独演会のチケットが余ってるのでいきませんか」と誘ってもらって行ってきた。ふだんお笑いは見ないしナイツという漫才師も字面は見たことあるが顔を見たことがない。たしかピエール瀧をネタにしてる人だった気がする。だからきっとおもしろいだろうと思って喜んで行くことにした。 会場で落ち合って友人に聞くと、友人もお笑いは見ないんです、という。彼女も誘われて、でもその誘った張本人が来られなくなってそのチケットがわたしに回ってきたのだそうだ。入手困難なチケットだろうに、なんか
電車をいくつか乗り継いで旧友に会いに行く。20代のころ同じ職場にいた友人で、お互いその職を離れたあとも、ゆるゆると友だちだった。なんというきっかけもないのだけど(たぶん。先方にはあったかもしれない、わからない)何年か連絡を取り合わないときが流れて、そのあいだに友人はねことの暮らしをスタイリッシュに、そして等身大に切り取ったインスタがめちゃくちゃに人気を集めて、たくさん取材も受けたり連載を持ったりするようなひとになっていた。ぜんぜん意外ではなく当然のことで、友人はずっと、芯がき
風邪に脳を乗っ取られていて長く考えることができない。何日かのあいだにおきたできごとを箇条書きにするか。 小説を書こうとしているがやっぱり書き方がわからなくて、目の前で今書いてみてくださいと言われて50分で書いたがやっぱりゴミみたいなものができた 関西から出張に来た大好きな友人とごはんした。張り切ってランチセットを注文したのにパスタ食べきれなかった 欧州在住で日本に一時滞在することになった友人とごはんした。「好きなことやって暮らすのが一番でしょう」と本気で自分オリエンテッ
のどの弱い人はよく知っていると思うが、咳は夜中によく出てわれわれを苦しませる。友人にもらったはちみつをスプーン一杯なめたら少しおさまったので、このままわたし、眠くなれと思って羊文学をスリープタイマーでかけ、布団に丸まって目をつぶっていると、部屋の外でなにやら男女の会話が聞こえる。娘はよくスピーカーでLINE通話をしているのでそれかと思って放っておいたのだが、そういえば息子があたたかい布団がほしいと言っていたことを急に思い出し、億劫だがさすがにこんな肌寒い夜にタオルケットでは気
風邪をひいた。風邪をひくとなにか負けた気がしてすごく悔しい。風邪をひいていなければ過ごせたはずの楽しい時間、喉が痛くない時間を失ったことが悔しい。人生折り返して焦っているのだろうか。 なんとなく喉がおかしかったのだが、昼間から意味のないことをダラダラと話す会というのを催し、趣旨通りに意味のないことをダラダラと話した。話しまくった。おぼえていることもあるしおぼえてないこともあるが、すべて意味がなく、そしてひどく面白かった。 そしてその後さらに別の会合に行き、さらに話しまくっ
何日間かあちこちに行っていたら日記が飛んでいた。それぞれに重要な体験だったがうまく書けそうにない。とにかくわたしはわたしの部屋をつくってみんなに開くのがよいのだ、と友人に言ってもらった。今とてもへこたれているが、これからうまくいくこともあるだろうと思って希望は失わずにおこう。風邪をひいたのでもうしばらくはそっと横になってやすむぞ。(※比喩表現)