友人の選挙
週末は宇都宮にいた。友人が市長選に出馬していて、投開票日だったからである。わたしは宇都宮市民ではなくて、おまえ関係ないじゃん、という話だしなにか貢献できていたわけでもないのだが、でもやっぱり応援しているってことが伝わることには意味があると思っている。傲慢な考えなのかもしれないけど、わたしはそんなふうに思うのである。
友人にはじめて会ったのは数年前の取材の席で、若くして地方行政の要職に就き、活躍が注目されていた。話を聞いて、わたしはとてもわくわくした。彼はとても頭の切れるひとで、地方行政にまつわるいろんな課題を、従来の規制や慣習でできなかったことをこうすれば前に進められるんではないかとアイデアで突破していた。何かや誰かを切り捨てたりしないで、特定の属性をあしざまに攻撃したりもしないで、ものごとをプラスに進めることができるってすごいことだ。国の政はまたさらに課題が複雑になるが、地方行政は、まさに自分たちが直面して途方に暮れている課題を、ちゃんと見てくれてよりよくしてもらえる、ちゃんと生活に直結してるんだと感じた。むずかしいことを、むずかしい顔をしないで、わくわくする未来を描くことができるこんな若者がいるなら、日本の未来、あんがい悪くないんじゃない?と思ったものだ。
しかも彼は切れ者であるだけでなく、ひとりのキュートな若者でもある。一度取材で会ったことがあるだけなのに、SNSでつながってしばらくしてから「なんかバイブス合うから」と友だちになってくれて、彼がつないでくれたおかげで愉快で大切な友人がさらに増えてもいる。そんな彼が市長選に出馬するというのだから、なんかせずにはいられないではないか。
そんな感じで、たいしたこともできないのだが投開票日の夕方、選挙事務所をたずねていった。ただし、到着する前、19時の開票から15分も経たないうちに当確がでた。落選だった。これまで5期20年、市長であった現職が当選した。壁はあまりに高かったんだ。ひとには生活があって、いまの生活を守りたいひとも、もうちょっとなんとかならんかなと思ってるひとも、とても困っているひともいる。応援する理由はそれぞれにあるから、現職に投票したひとにも理はあることは理解できる。ただわたしは、これまで生きてきて、このひとめちゃめちゃいいじゃん、投票したい、このひとに首長になってほしい、と考えたことなどこれまで一度もなかったので、投票権のある宇都宮市民がうらやましかった。できればわたしも自分が住んでいる地域や国で、こんな思いで応援できる政治家に出会いたいよと思う。
翌朝も、友人は市民の皆さんに挨拶するために7時から辻立ちをしていた。いっぽうわたしたちは彼が愛する川まで歩いていって、サンドイッチをつくって食べた。