生命の平等性を観察する
いのちの本質はみんな同じです。
みんな同じように、
心と体を持っています。
みんな同じように、
息を吸って吐いています。
みんな同じように、
苦しみを抱えています。
みんな同じように、
「幸せになりたい」と願っています。
どんな人の心にも、
欲、怒り、無智、憎しみ、恨み、嫉妬、恐れ、悲しみ、焦り、不安、緊張、慢といったネガティブな種が眠っています。
どんな人の心にも、
幸せ、喜び、慈しみ、憐れみ、おおらかさ、智慧、感謝、寛大さ、安らぎ、穏やかさといったポジティブな種が眠っています。
富や名声、外見、年齢、性別、性格、価値観、生まれなどに、見かけの違いがあるだけです。
いのちの本質はみんな同じです。
それぞれの違いを認めた上で、違いに囚われることなく生命の平等性を観察できれば、
様々な心の汚れは消え去り、苦しみから解放され、喜びと幸せが訪れます。
いのちに優劣はないことがわかれば、
他者と自分を比較して落ち込んだり、
天狗になって失敗したりすることはありません。
他者に嫉妬して苦しんだり、
他者を差別して自分自身を苦しめることもなくなります。
人との温かなつながりから、喜びを感じられるでしょう。
みんな幸せを求めていることがわかれば、
エゴは小さくなり、自分のいのちだけを優先して貪ることはなくなります。
何でもかんでも自分のものにしようとする所有欲もなくなります。
欲から解放された自由な心で、
のびのびと生きられるでしょう。
どんな人の心も完全ではないとわかれば、
他者に傷つけられたとしても、
他者の悪行為を目の当たりしたとしても、
怒りや憎しみ、恨みの感情は湧いてきません。
代わりに、他者を傷つけてしまうほどに、
悪行為をしてしまうほどに苦しんでいる相手に対して、憐れみの気持ちが湧いてきます。
憐れみの気持ちが湧いてくれば、
寛大な心で相手をゆるしたり、必要に応じて適切なアドバイスをしたりできるでしょう。
どんな人も、自分と同じように苦しみを抱えていることがわかれば、おのずと憐れみの気持ちが湧いてきます。
憐れみの気持ちは言葉や行動となって現れ、
相手の苦しみを和らげます。
相手に喜びや幸せをもたらします。
それと同時に、憐れみを生み出した自分自身にも、喜びや幸せをもたらします。
みんな呼吸していることを観察できれば、
息を吸って吐くだけで、
無数の生命とつながれます。
いのちの温もりを感じ、心は深い安らぎで満たされます。
本来の心はとても未熟なので、
どうしても人は自分や他者の価値を測り、
優劣をつけてしまいます。
頭で「差別はいけない」とわかっていても、
言葉や行動であからさまに差別せずとも、
心に微細な差別が生じてしまいます。
しかしこれでは、自分自身の心が汚れ、
苦しみは増していく一方です。
ですのでできる限り生命の平等性を観察し、
心の汚れを取り除き、喜びと幸せを育てていくべきだと思います。
僕自身もまだまだ満ち半ばなので、生命の平等性を観察できるように、日々精進したいと思います。