遥か遠くから、聴こえた気がしてしまうような
衣擦れの音で掻き消えていくくらいの音が好き。
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東京に住んでいるくせに騒がしいのが苦手だ。
そのくせ音楽が好きなものだから、目隠ししたまま手の鳴る方に歩いていくみたいにして音の鳴っているところに出かけてしまう。
学生のときからジャズ喫茶みたいなところにわけもわからず出入りしていたし、そこからライブハウスを通り、音楽家や演劇人の集まるモンパルナスのようなバーが居場所になり、そうまでしてもそれでもどこかそれらの居心地が、完全によいわけではないと本当は分かっていた。
映画も好きなのに映画館の音量が苦手でなかなか行かれなかった。
音が大きいのがいいところなのにどうして?と言われても、それが苦手なのだからどうしようもない。
よかろうと思って入ったビストロで、派手な音量でかかっているジャズに刺されるような気持ちがしてすぐに帰ってしまったこともある。
(ロックンロールだけは大きな音でも大丈夫。ロックンロールは愛だから、愛が大きな音で大きな世界に響いているだけだから。)
ただそれを、自分ではよく分かっていなかった。わたしは自分については好きも嫌いもよくわからないのだった。
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今年の夏に旅に出た。霧の向こうにあらわれる幻のごとき古城へ。
真白い、昔住んでいた修道院をおもわせる、安全な避難場所、湖のほとりまで。
その部屋であれこれした説明も終わり、ひとりで、フランスからやってきた古い古い窓枠から外を眺めていたときに、ほんとうに小さな小さな音で、音楽がどこからともなく鳴っているのに気がついた。
あらゆる古い調度品の脚元にそっと隠れるように、わたしも知らないクラシックのピアノの旋律は、部屋の片隅から流れ込んできていた。
衣擦れやちょっとした会話で消えてしまうくらいの音量。
ひとりでソファに沈み込んだときにようやく気づくくらいの音量。
それがあまりにも心地よかった。
修道院に住んでいた頃、日の出にもならないような朝の暗いうちに、ベッドサイドの小さなオレンジ色のランプだけをつけて、隣の棟から聴こえてくるシスターたちの歌声に耳をすませていたあのときのことを思い出した。
廊下に出ればまだ寒いことを知っていて、ルームメイトも眠っていることを知っていた。だから毎朝音を立てないように、そっとシスターたちの歌を聴いていた。そのときのこと。
毎日、聴こえるか聴こえないかの境目のような音量の中をそっと歩いていられたらいいなと思った。
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わたしはあまりにも自分のことに鈍感で、自分のことがよくわからなくて、
大きな音や突然に鳴る音が苦手だということ、この衣擦れの音で消えてしまうみたいなそっとした音量なら怖くないというだけのことを、
こんな旅をしなければわからないで、どこか不安なまま音楽を愛していることにしていただろうと思う。
そしていつか音楽すら愛さなくなったかもしれない。
ロックンロール以外の音はなんでもかんでもできるだけ、ささやかなため息にも似た微笑みの、それが音になったような大きさで。
人の声も、音楽も、遠くに見える町からふと聴こえた気がするような、そのくらいの大きさで。
それがわたしにとってはよいこと。たぶん。
白昼夢の如き朝と、ぬばたまの夜に、
遥か遠くから、聴こえた気がしてしまうような。