![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/141312947/rectangle_large_type_2_82a538db8e28c226817e630d288df650.png?width=1200)
今日の読書『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』
先日友人と通話していた際に――なんの話をしていたかは完全に忘れてしまったが――ふいに福井県の話題が出た。
私自身は足を運んだことはない。
というか、名物らしい名物は、はっきり言って蟹しか知らない。
あまりに福井県についての情報に乏しく話題に窮した私は「福井県といえば『福井県鯖江市』じゃない?」とぽつりと呟き、discordに『福井県鯖江市』のリンクを貼った。
眼鏡、近松門左衛門、Vidro、幽霊話、クソくだらないお役所仕事、etcetc……。
書籍版が発売されて7年も経つ今も鮮明に内容を思い出せるほどに、『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』の「福井県鯖江市」は強烈に印象に残っていた。
『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』は(発表当初から見て)未来に発表された「クソゲー」を、2115年の老ゲーマーがレビューしていく、というかたちのテキストサイト型小説だ。
ゲームにすべてを捧げた老人「赤野工作」(もちろんモデルは作者)の狂気と、世界各地で発表されたクソゲーが醸す腐臭じみた狂気、そして「クソゲーを生み出した存在」と呼ぶべき未来の地球が辿っていった狂気の三つが絡まりあう――。
クソゲーテキストサイトを通じて、未来世界の歴史と謎がだんだん解き明かされる姿はまじめなSFでもあり、さいごまで読む手が止まらない。
この本が刊行された当時の私はそこそこゲーマーで、CivやポケモンやSkyrimやFalloutやスプラトゥーンといった、ゲーム史に燦然と輝く名作中の名作に血道を上げていた。
当然クソゲーにかまけている暇はなかったのだが、クソゲーオブザイヤーをはじめ、クソゲーを愛する者たちの罵倒に溢れたレビューを読むのは大変好きだった。
しかし、据置ゲーム機のハイスペック化に伴い、KOTY受賞対象のクソゲーは次第に淘汰されるようになってしまった。
KOTYの本スレも(5chそのものの機能不全もあいまって)衰退し、2022年をもって終了してしまったのはいよいよ隔世の感がある。
しかし、世にクソゲーの種は尽きまじ。
据置に替わって定着したSteamには粗製濫造のクソ以下ゲームが溢れ、令和の世はクソゲーの黄金時代である。
ただ、クソゲー紹介の発表の場はもはや『ザ・ビデオゲーム・ウィズ・ノーネーム』のようなテキストではなく、動画サイトへ移っている。
プレイ動画との相性が良いクソゲーレビュー動画(プラットフォームがニコニコからYouTubeへ移っているのも特筆すべきだろう)で取り上げられる作品は、従来のようなPC・据置/携帯機ゲーの枠を飛び出し、スマホゲー、果てはスマホ広告でプレイできるハイパーカジュアルゲーまで様々だ。
私が現代のクソゲー紹介で個人的に好きな動画は、伝説の「ニューメキシコのゴミ捨て場に埋められたAtari2600のE.T.」(無論小説の主人公も所持している)についての動画だ。
なんとこの「ゴミ捨て場」の位置を日本人ゲーマーが特定した、というもの。
Ha ku氏のクソゲー・奇ゲー・海賊版ゲーへの情熱は主にアジアへ向いており、小説の主人公がサイトの結構な分量をアジア(とされていた地域-言語)のクソゲーに割いていることをどこか思い起こす。
さて、この小説の主人公はゲーマーというものを「一足先に現実の人生に飽きてしまった可哀想な人たち」と定義している。
現実に飽き、大量のゲームを積み、孤独と老化と病、そして迫り来る死に怯える彼は終末を前に「ある決断」を下す。クソゲーという狂気に取り憑かれた男が最後に「遊ぶ」「クソゲー」がいったいどんなものは、ぜひ本を読んで確かめていただきたい。
ゲームだけを遊んで一人孤独に老いていき、昔遊んだゲームの残骸を抱きしめながら、衰えた脳で「楽しい楽しい」とうわ言を呟き、見事ゲームを愛したまま死んで、幸せな人生だったと胸を張ることが出来る。
なんだ、こうして考えてみたら、それはそれで理想の人生じゃありませんか。
初めて読んでから大分時間が経って、今はほんの老いに急かされる主人公の気持ちが少しわかる気がする。
時間は有限、ゲームは無限なのだ。
この世のゲームを遊びつくすには、人生はあまりにも短く、生身の人間はあまりにも……なんというか、「耐用年数」が短く設定されている。
「耐用年数」を延ばせるよう健康に生きるか、あきらめて太く短く生きるか、或いは数十年後のテクノロジーに己を託すか。
ChatGPT4oがリリースされた2024年は……どうやら作品が描いた未来より、幾分技術革新が進んでいるらしい。
未来は主人公と同様われわれの手の中にある。
どのゲームに時間を費やすか選ぶのと同じように、われわれもそろそろ「より良いゲームライフ」を選ぶ時なのかもしれない。