美術を学ぶことは、伊能忠敬界隈に入門すること
常人離れした距離を歩き続ける「伊能忠敬界隈」なる概念がSNSでバズっている。
私もバカバカしいくらい健脚であることを友人にたびたび突っ込まれるので、備忘として「歩くこと」について書いておく。
ちなみに、一日40km近く歩き続けるというのは本人が心身ともに健康なら(恐らく)問題ないのだが、摂食障害などの症状のあらわれの可能性は否めない。
また「健康を維持するための適切な歩行量」として長い間定義されてきた「1日1万歩」も、膝などへの負担を考えると実は歩きすぎだ。
普段の栄養状態や紫外線を浴びる量に問題があると、この程度のウォーキングでも骨粗しょう症になる可能性がある。
今の時期は当然熱中症のリスクもあるので、ウォーキングは決して「すればするほど良い」というものではないことに留意すべきだろう。
私はもともと発達障害由来の多動持ちなのが「歩くのが好き」な性格のおおもとにある。
元々都心が生活圏だったので八重洲~銀座~日本橋あたりの地下街や、新宿などのターミナル駅をぐるぐる歩いていた(地下街やターミナル駅は商業施設が集中していて治安がよく、トイレや飲食店に困らないのが実にウォーキング向きだ。都心におけるイオンモールである)。
ちなみに、人生で一番楽だったアルバイトは美術館の監視員だった。
いろいろやることはあったのだが、基本的に一日八時間「スーツを着て空調の整った空間をただ歩いて美術作品を眺めているだけ」でお給料が入ってくるので、個人的には大変メンタルが楽だった。座ることもできず同じところをぐるぐる歩き続けるなんてとても耐えられない、と捉える人も多そうだが……。
そして美術史を専攻するにあたって「美術を学ぶことはイコール歩くことである」という、謎の体育会系の論理を叩き込まれるに至った。
どの地域の美術を専門にするにせよ、美術史は結局のところセンスや知識量以前に「自分の体力」との戦いである。
「教養」は暗い場所でひたすら本を読んで身につけるものだと思われがちだが、残念ながらそうではない。とりわけ美術の世界は、歩いた距離に教養の深さが比例する。というか、恩師は皆とんでもない健脚で、10代の学生が歩くスピードで追いつけないこともしばしばだった。
海外の建築、展覧会、芸術祭などを含めれば「教養として行く『べき』場所と費用と移動の総量」はそれこそ天文学的になってしまう。
車やバイクを所有するか・海外をどれだけ旅していくかなども含め、どこかで自らの経済力と折り合いをつける必要もある。
そういった意味で、「いかに移動できるか」という移動量バトルは非常に資本主義的だ。体力・気力・経済力という「わかりやすい社会的ステータスを得るために必要とされる要素」がなければ「勝てない」……というよりそもそも逆転の余地がないので、最終的には資本がものをいう(このあたりはブルデューを参照してもよいだろう)。
これが良くも悪くも美術史の残酷かつ排他的な側面なのだが、そもそも「旅」「美術」が人間存在にとっての余暇/娯楽ならば、学問としての方向性が資本主義に非常に偏るのは、ある程度必然なのかもしれない。
そして、それらすべての移動のベースにあるのが「歩くこと」だ。
歩くことは言わずもがな無料だ。健康な人は「歩こう」という意志がなくとも勝手に体が動き、歩くことができる。
しかし、「目の前の風景や目的やとらわれず、単に延々歩いてみよう」というのは誰もがかんたんにできることではない。
それが「なんとなく」できる多動という性質は、自分にとってはギフトだと思っている。
しかも幸運なことに体が頑丈だった。いくら歩いても関節が痛むことがほとんどなく、大きな怪我の経験もないので、自分は心身ともに歩くことに異常に特化した性能をしているらしい、ということもわかってきた。
ジョギングやサイクリングも嫌いではないが、やっぱり歩く方が好きだ。
というわけで、私も20代の頃は寺巡りのために野山を駆け回っていたのだが、最近は自分の「目的地がなくても楽しめる」性質に気づいて近所をぐるぐる散歩するようになった。
というか、はっきり言うと散歩のために引っ越しを決めた。それが東京都町田市である。
町田は多摩丘陵の入口にあたるエリアで、二十三区とは風景のありようが全く異なる。
私が住んでいる辺りも里山を切り崩して開発しているため、低い山沿いに住宅が立ち並ぶ美しい情景が毎日見られる。
丘陵地帯に降る雨が川を作り、緑も豊かで、この時期は薬師池公園の蓮の花が特に美しい。数キロ歩くだけでダイナミックな地形と自然が出迎えてくれる都市が町田だ。
ちなみに私が住んでいる家から最寄り駅までは徒歩15分以上。しかも行き帰りには標高差50m以上の「峠越え」が立ちはだかる。毎日斜度15度近い激坂を行くのはさすがにかなり辛いが、ウグイスやキツツキの鳴き声を聞きつつ、家々に咲く花を眺めていると、疲れも吹き飛ぶというものだ。家賃も信じられないほど安いし、物価も(特に野菜が)良心的だ。
車社会ではあるが、徒歩+電動自転車でもなんとか暮らせている。
歩くことにルールはない。ただ、ルートの決め方はひとりひとりに委ねられ、ひらかれている。
筆者は思い切って住処を変えることで歩き方を大幅に変えることにしてみたが、皆さんも明日は一本別の路地、別の時間、別の風景を進んでみてはいかがだろうか。きっと今までとは違う自分に出会えるはずだ。
最後に、歩くときによく使うオススメ商品を紹介。
どこに行くにもエボライドシリーズを履いていて、これは2代目。
先代のエボライド2はあまりにもすべてが擦り切れて江戸時代の飛脚のようになってしまったので処分した。軽さ・クッション性など申し分なく、幅広甲高でも履きやすいのが魅力。もう手放せない。
シャオミのMi Bandシリーズはとにかく電池の持ちがよくリーズナブルなので、Apple Watchなどを既に持っている人も購入する価値がある。長時間充電できない外での運動時にはこちらの方が便利かもしれない。
運動の内容なども非常に細かくデータを取れるので、決済機能が必要ないならスマートウォッチはこれ一本でいいだろう。
防水機能つきなので、この時期も一日中つけている。
日傘よりも便利なのが偏光サングラス。ワークマンのものはとにかく安価で丈夫だ。つけていると有害な紫外線を普通のサングラスの比にならないレベルでカットしてくれるので、夏のお出かけの疲れが体感で80%は減る。