さよならハタチ
「20歳」と書いて「ハタチ」と読む、その特別感が好きだった。わたしは今日、ハタチという称号を失い、21歳になる。ニジュウイッサイ、という響きにはハタチのときに感じたときめきはなくて、もうハタチを名乗ることはないのかと思うと少し寂しい。
20歳の誕生日は、閉鎖病棟の中にいた。
また生き延びてしまったな、と思いながらひとりで過ごす誕生日を寂しく憂鬱に思っていたけれど、入院中に仲良くなった友達や看護師さんたちが「おめでとう」とお祝いしてくれて嬉しかったのを憶えている。バースデーケーキもはじめてのお酒もなかったけれど、すごく特別で、忘れられない20歳のスタートだった。
退院したのは12月末。初のお酒を家族と楽しんだ。はじめてのほろよいは、噂に聞いていたようにジュースと同じ味がして飲みやすかった。それなのに身体がポカポカとしてきて、眠くなってきて、なんだか不思議な感じがしたっけ。家族と一緒にお酒を飲める、そのときだけ都合よく大人になった気分だった。
入院していて一時はどうなることかと思ったけれど、なんとか間に合った成人の日。純白の雪景色に映える赤の振袖を着て、くるりと一周回ってみせるわたしに「きれいになったね」「着られてよかった」と言ってくれた両親。その言葉に込められた思いを想像するだけで心があたたかくなった。
ずっと20歳になりたくなかったけれど、はじめて20歳になれてよかったと思ったのはこの日だった。振袖の重みは、これまで乗り越えてきた数々の苦悩の重み、積み重ねてきた日々の重みだったのかもしれない。
3歳からの幼なじみとはじめてお酒を飲み交わしたあの日は、大切な大切な思い出として刻まれている。出会ったときから長い月日が経ち、取り巻く環境が変わっても仲良しでい続けられたことが、本当に嬉しかった。一緒にお酒を飲んで、一瞬に感じるほど楽しい時間を過ごし、生きてきてよかったなと素直に思えたのは、酔っていたからではなく間違いなく本心だ。
わたしは誕生日が苦手だ。毎年、不安になってしまう。わたしはこの1年間で何ができただろう、成長できたのだろうか……中身がまったく追いついていないような気がして、また年齢に置いていかれている気がして、情けなくなる。そして怖くなる。
だから今までのわたしは、誕生日を迎える前に死んでしまいたいと幾度となく考えてきた。17歳のときは18歳になるまでに、18歳のときは19歳になるまでに、というように。特に、昨年19歳から20歳になるときは十の位が変わってしまうことが本当に怖かった。
20歳から21歳、怖くないと言えば嘘になる。わたしはなにも変わっていないから、歳が変わることはいつだって怖い。21歳、十分大人とみなされる年齢だ。自立もできていないわたしが? 大人ってどんなものなのか分かっていないわたしが?
きっと中身を変えることは難しくて、成長した実感を持つことはもっと難しいことなんだと思う。
21歳を迎えるにあたり、怖い気持ち、焦る気持ち、不安な気持ち……色々な気持ちが溢れてくるけれど、それらをまるごと抱きしめて21歳を生きてやるんだと腹を括るしかない。
死にたくなることがあるかもしれない、後ろを向いてしまう日もあるだろう。でも、ずっと前向きじゃなくたっていい。だって、後ろには21年間生きてきた足跡がたしかに残っていて、前にはこれから歩んでいく道がずっと延びているのだから。
21歳になってもやることはただひとつ。1日いちにちをただ生きることだ。
ありがとう、さよなら20歳。
よろしくね、21歳のわたし。