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【躁うつと生きる】たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやる いつか私も

こんにちは。
躁うつ病歴23年、現在休職中で、毎日自分のペースを探りながら、自分の体調を伺いながら、過ごしております。

鬱で休職をしていても、休日が来るとホッとします。
思ったって仕方ない感情なのですが、平日に生産性があるとはいえない活動をしていたり、籠ったりしていることには、大なり小なり後ろめたさが拭えません。
療養中なのですから、自信を持って療養していればいいとは思いつつ、傍から見ると病気には見えづらい、というのが後ろめたさの一番のネックなのかもしれません。平日はよっぽど家事に時間をかけない限り、どこから責められているわけでもない罪悪感が、どうしても消えません。

それが休日ならば、誰もが自由に休んでいい日。無為に過ごそうが寝て過ごそうが、許される日だと心から思えるからホッとする、日々社会を動かし生産している人とは違うかもしれない安らぎを、今は休日に感じています。

そんな三連休の始まりです。
先週絶賛鬱籠(うつごもりについては、昨日の記事も読んでくださると嬉しいです)だったので、リビングのカーテンを久しぶりに開けると(私が開けないと永遠に夜のままのリビングです)、ささやかな家庭菜園の、かぶの間引きするべき葉っぱ達が、見事に葉脈だけになっていました(ガーン…)。ショックもそこそこに窓から外を眺めていると、スズメよりは大きく、ハトよりは小さい、ハトのような毛色をした鳥が、葉脈だけになったかぶの畑を囲っているレンガをチョンチョンと歩いていました。
春先によく見る鳥です。木の実や新芽をついばんで、糞を律儀に残していくので、痕跡も証拠もバッチリなのに、名前を調べても結局何か分からなかった鳥です。

ところでタイトルですが、俵万智さんの「たんぽぽの日々」の歌からいただいたものです。
まだたんぽぽは蕾も見えてはいませんでしたが、鳥の羽と重なって思い出され、パッと飛び立つ鳥のように潔く羽ばたけなくても、ふわふわと自分らしく舞うように飛べるといいなぁ、なんて、考えていました。葉を食い散らかし糞を撒き散らかす傍若無人さも、自分と重ねるのに丁度よかった気がします。


この三連休はまたしても最長寒波とか最強級寒波とか言われて、こんなにまだまだ寒いのに、動物ってちゃんと季節がわかるんだなと、毎年のことながら驚かされます。すごいなぁと。 

庭先に出てみましたが、温かく柔らかな日差しとはうらはらに、風が冷たく肌に刺し、すぐに暖かな部屋に引き返してしまいました。やっぱり野鳥は素晴らしい。葉っぱはあきらめて、間引いた小さなかぶを、薄くスライスして夕飯のお味噌汁に入れちゃうことにしました。

全然手入れが行き届いていない庭には、野草も芽吹き始めていました。生い茂り始めると機械的に除草作業をするくせに、どうしてこうして、芽吹いたばかりの野草はこんなに可愛らしいのでしょうね。もうすぐ温かくなるよ、って教えてくれるからでしょうか。寒くても大丈夫だよって健気に生きているからでしょうか。雑草を人の心に喩えられたり、語られたりするのは、必ず毎年同じ季節に現れて、なんの主張も押し付けもなく、そっとそばに居てくれているからなのでしょうね。

まだ何も、予定をしていない三連休です。
俵万智さんの短歌には、そんな歌もあったような。

まだ何も 書かれていない 予定表
なんでも書ける これから書ける

「サラダ記念日」俵万智

もうすぐ末っ子ちゃんが、ひまーひまーと、
時間を持て余して訴えてくるはず。
何しようかな。三連休。
皆さんは、なに、しますか🌱

オオイヌノフグリ、
子どもの頃に一番最初に覚えた野草です。
これを見つけると、今でも少しホッコリします🪴





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坂縞理子
毎日思ったことを書き連ね、心の整理をしています。読んでくださるだけで、励みなっています✨感謝の気持ちを込めて🌹ありがとうございます✨