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<小説/不倫・婚外恋愛>嫌いになれたらは、愛を信じてる裏返し(12)STAGE2・Test

 どんな時でも、直樹との連絡は毎日欠かすことはなかった。数時間楽しく話すことも、体を重ねることも定期的にあったけど、甘い時間はほんの一時。結局はケンカで終わることも多くなっていった。

 いつもケンカの内容は不倫の事。「俺をわかれよ」「私をわかって」お互いに自分の主張をぶつけ合う。

 離れていくことだけは嫌だ!何があっても離れたくはない。だからわかって欲しいのに……。

 その場を離れて冷静になると、深い自己嫌悪に襲われた。直樹も同じように「ケンカしている時は、早く終わらせたいと思って、平気で芹香を傷つけてしまうんだ。ごめん」と言ってくる。どんな暴言を吐こうが、この人は離れない。心の底ではそんな信頼があったのかもしれない。

「不倫はしたくない」とどんなに言っても、「今は不倫でも仕方ない」と現状を変えるつもりのない直樹。幸福と絶望が幾度も襲う。ジェットコースターを操ることができない。アメとムチが交互にあって、気が付けば私たちは共依存の関係になっていた。

 私たちの向いている方向がどんどん開いていくけれど、私は導かれるように離婚への道を進んでいった。

 私が営業になった途端、業界がこの上ない好況になる。無理な売り込みをしなくても、大口の注文が次々と決まっていった。これまでの倍の発注が入り、仕事は繁忙を極めていた。毎日何件もの見積もりと発注作業に追われる。休まる場所は、もはや営業や通勤時の車中だけ。数分も運転していると、抑えられない眠気が襲う。記憶のないまま走り、こんなところにいたのかとハッとする毎日だった。この時は、何かに生かされているという感覚を確かに感じていた。

 心も体も疲弊していたが、収入への跳ね返りはものすごかった。離婚までに貯めようと目標にしていた100万円は、夏のボーナスだけでクリアすることができた。

 目標金額が貯まり、今度は両親に離婚の意志を打ち明ける。打ち明ける前は、「親として我慢が足りない」とか、「ただのケンカでしょ。あんたから頭を下げて丸く治めなさい」とか言われるかと思ってビクビクしていた。でも、ここでも子供同様、何故だとも聞かれず、考え直せとも言われず「お金はこっちでなんとかしてやるからすぐに出なさい」と言ってくれた。

 子供にもう一度確認をする。二人とも、学校が変わらないなら一緒に付いてきてくれると言ってくれた。辛い選択をさせてしまってごめんなさい……。絶対に、母としてひもじい思いも、これ以上辛い思いもさせないからねと心に誓う。

 後は、学区内の家を探すだけ。学区外も考えたけど、下の子が中学校に上がる時に結構面倒な申請になりそうで断念した。

 次の学年になる、春休みに引っ越そう。

 リミットは決まったけど、予算と家の広さがマッチするところがない。3DK、せめて2LDK。女の子二人だから、アパートの一階というわけにもいかない。それなりにしっかりしたところは、それなりに高かった。

 なかなかいい部屋が見つからないまま、年が明ける。

 買い物の帰りに、車でふらっと見かけた新築のアパート。そこに書いてある不動産屋に話を聞きに行く。すると、良いなと思った物件はすでに埋まってると言われたが、ギリギリ学区内に入っている、築年数が経っているマンションはどうだという話をくれた。その日に内観も出来るという。早速行ってみると、7階建ての鉄筋マンションだった。まだ各階に1部屋づつ空いている状況で、すべての部屋を見せてもらうことができた。その中でも最上階3DKの角部屋が最高の眺め。一つの部屋は和室で小さめだったけど、他の2部屋は洋室の6畳。確かにちょっと古いけど、充分リフォームされている。でも、予算より2万円くらいオーバーしそう……。少し考えさせてほしいと言っていったん帰ってきたが、3日後やはりその部屋に決めることにした。

 私が、仮契約を済ませた次の日には、全室埋まったと担当者から連絡があり「本当にラッキーでしたよ。そして家賃ですが、お伺いしたご予算内に収まるように大家さんに事情をお話ししたら、内緒ですがお安く貸してくれるそうです。良かったですね」と破格の値段で、部屋を借りることもできた。

 すべてが予定通りに整った。見事なまでに、経済的自立を果たした私。行動を起こさずにはいられないという思いのままに行動したら、後押しする現実が次々に起こっていたことに驚く。

 離婚は紙切れ一枚で済んだ。私が先にサインと保証人のハンコを貰った状態で夫に渡す。すると、隣に住んでいる両親にサインを貰い、自分のサインをして数分で戻ってきた。次の日に、私は会社を抜け出して市役所に離婚届を提出。本当にあっけないものだった。

 養育費は、「俺はこれから、家のローンもあるし光熱費も払わなくちゃいけないんだ。お金がないんだよ」と言って、一銭も出す気がないと言う。裁判にして、時間もお金もかかってズルズルとこんな人と関係を継続する方が嫌だ。「お前たちは苦しんで生きろ」と捨て台詞も言われたが、何とか2万円だけ貰えるまで粘った。

 家を出る日も、完全な無視。娘たちに対しても、何も声をかけてもくれなかった。あろうことか、娘たちを置いて3人で外食に行く。父親として、子供くらい一緒に連れて行ってもいいものを……。それが一番許せなかった。

 荷物の運び出しが終わり、カギを置きに義親へ一人で話にいく。
「お世話になりました。」
「お前が家を出ていくことで、私たちは嫁を虐めたとウワサされるんだよ。何をしたっていうんだ。恩をあだで返しやがって。うちの息子が可哀そうだ。家のローンも毎月きちんと払ってくれているし、何が不満だったんだ。ゴミを出したり、何でうちの息子ばかり頑張って。出来の悪い嫁だね」

 これ以上話したくもなかった。

 家のローンは、私が払っていた。私は生活費というものは貰っていない。ゴミ出しも、私がまとめたものを週に1回出すというルールだっただけ。まとめなければ「まとめていないお前が悪い」と言って出さない夫。外に出たところで、あとは義母が捨てに行っていたのを私は知っている。

 言おうと思ったことを全部飲み込んで。無言でその場を後にした。

 子供たちが、本当に優しくいい子に育ってくれたのも義父母がいつも居てくれていたからだとも思う。それなのに涙一つ流さず私たちに目もくれない人達……。娘たちは逃げるように私についてきた。

 家を出た日、ちょっと良いカフェで遅めのランチをとることにした。私は努めて明るく振舞う。娘たちはいつも通りではあったが、心の内を口には出してはくれなかった。

 実母が、新居が落ち着くまで一緒に住んでくれていた。それが、何よりも心強い。

 やっと、ゆっくり眠れた。

 これまで、誰かと同じように枠からはみ出さないように何も考えず生きていたと思う。それが直樹に出会ったことで、そこから抜け出すパワーを貰った気がした。やりきったという自信をこの時はしっかりと感じていた。

 直樹は、私たちのために出張ではお土産を買ってきてくれたりする。そして、引っ越しと進級のお祝いにと私と子供たちの4人でディナーに行こうと言ってくれた。子供たちには、私達の関係は伏せたまま会社の同僚というていにしていた。まだ肌寒く、春一番が吹く季節。外に出たら、自然と車のドアを開けてエスコートする直樹。その立ち振る舞いに娘たちは驚いたけど、とても嬉しそうにしている娘二人にほっこりする。それからも娘たちは、特に訝し気に思うことなくキャッキャと直樹と話していた。「今度は、高級お寿司がいいな」「おう!ま、ま、まかせろ」なんて言って3人で笑っている。これがずっと続いてくれたらなと、幸せな気持ちを味わった。

 生活も落ち着いた頃、今度は『離婚した私』と『離婚しない彼』との乖離が始まった。まったなしのステージ変更。自分でどうにかしなくても、動く時は動く。それなのに、自分でどうにかしたい時には全然動かないのは何故だろう……。

 これまで抱えてきた闇を見るこの時が、一番苦しく一番成長した時だと感じている。

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