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自発的に、批判的に、そしてクリエイティブに思考できる学生を育てるための学校教育とは💭

こんにちは!

Queenish Thoughtsです。

最近さまざまな側面で教育現場に携わることが多いのですが、そうした中で感じていることを自分なりの言葉でまとめてみようと思います。

まずは学校ってどのような場所なのか(であるべきか)について私の考えていることをお話しします。

学校にはさまざまな機能や役割があり、すべての側面からお話しすることは不可能なので、学校が自己形成に与える影響という観点に絞って話してみたいと思います。

小学校から高校までは、「様々な感情を通して自分の個性を模索して、アイデンティティを確立していく途中段階」だと思っています。

この段階で1番大事なことは、より多くの人、文化、食べ物、職業、概念、芸術、学問, etc. に触れることだと思います。

いろんな科目を習ったり、アクティビティ(部活や各種イベント)を行う理由はまさに可能性や選択肢を増やすためなのではないかと考えています。

それらを通して、自分が何が得意で何が苦手なのか、自分の好き嫌いや関心無関心、必要性を感じることやそうでないこと楽しいことつまらないことなど、単純な感情から自分はどういう人なのか(ペルソナ)を形成していく期間であるべきです。

小学校から高校の間は、多くのものに触れ、多くの感情を抱きながら将来のビジョンや自分のアイデンティティを徐々に確立していく大事な期間だと思います。

私も小学生の頃から活字に親しみ、小説を好きで読んでいましたが、今文学を研究しているのももしかしたらこの頃にルーツがあるのかもしれません。

当時は自分が将来そんなことしてるなんて考えたこともありませんでしたが。笑

つまり、小学生の頃の趣旨趣向が直接今のキャリアパスにつながってきたわけではありません。

中学〜大学までの間に経験した文学とは関係のない様々な経験や知識もまた、私のキャリア/ペルソナ形成に大きく影響しています。

だからこそ、大量の宿題を出して問題を解くことを作業化させたり部活を強制したり、眠くなってしまうような先生だけが延々と喋り続ける授業を無理やり聞かせたりすることはナンセンスだと思います。

ネガティヴな感情 (数学苦手…運動やだな…など) がいけないものだと植え付けるかのように叱りつけることも疑問に思います。

その目的を失った単なる押しつけ教育はきっと多くの学生の可能性や選択肢を狭める可能性が大いにあります。

反対に、例えばもっともっと参加自由型の多種多様なイベントやワークショップを行った方がいいなと感じます。

講演会は下手すると一方的な大人の成功自慢話にもなりかねないですし、インプットばかりで自発的な思考力や発想力は伸びにくい気がします。個人差はもちろんありますが。

大人が思っている以上に、小中高生は面白い発想をします。自主性も、クリエイティビティもあります。

その個性を発揮できるような場をもっともっと子供に提供すべきです。

授業中でも、もっと学生に発言権を与えてもいいのかなって思います。各々が自由に発想して共有して、意見の相違点や類似点を発見しそれについてまた考えを巡らせて発言する。これだけでも問題演習や講義の何倍も効果があると思います。

高等教育では、小学校〜高校で形成されてきた個性/アイデンティティを自ら再分析し、修正&強化する場だと思います。

興味関心に基づいて、あるいは必要性を感じるものに基づいて進路を決めたり、決まった進路先でまた自分の個性を見直したり知見を広げたりします。

この段階でも重要なのは、やはりなるべく多くの人に触れること、多くの職業、文化、技術、価値観を知ることだと思います。

それは、自己の可能性を最大限に広げるためにも、思い込みや偏見をなくすためにも。

常識の移り変わりは本当にはやいです。

大学生と中高校生との間にも、中高生と小学生との間にもギャップがあるほどです。

古い型や常識に閉じ込めようとしてたら誰の何も育ててることにならないと思います。

例えば、今やメタバース上で仕事を行う人もいます。たくさんの小学生がネットを使いこなしたり、より多くの若者がバーチャル世界に自分のアイデンティティを置いたりしています。

自分の知らなかったことを当たり前だと思う人もいて、自分が想像もしなかった世界に身を置き生活している人もいます。

多くを知ることに一抹の恐怖感を感じる人もいるかもしれませんが、私はだからこそ自分を強くすると思います。

多くを知ることは多様性を受け入れられる第一歩とも言えるのではないでしょうか。

多くを知って視野を広げることで、自分が知っている範囲内の概念、あるいは世間で主要とされている概念に無理やり自分自身をカテゴライズする必要性がなくなります。

そうなると他者に対しても固定観念の中に閉じ込めてしまうような考えをしなくなると思うのです。

なので、自分の力で情報を掴みにいくこと、自分の意見を他に発信すること、人の話を傾聴すること、自分であらゆる物事に関して考えを巡らすことはとても大事だと感じます。

そして、学校こそがその練習の場であるべきだと思います。

学校教育では、自分の時間軸で、自分の可能性を制限せずに自主的にライフデザインをしていくことができるようにアシストすることがまず大事だと感じています。

少なくとも私が教育現場に携わる際にはそのようにすることを心がけています。

「教育」という言葉通り、教えるだけではなく教えながら育てていくことを念頭において教育現場と向き合いたいと思います。



今日は私のthoughtsが溢れた記事になりました💭

一意見としてそんなふうに考えてる人もいるんだなあと思ってくれたら幸いです💡

Have a great day!

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