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AIは余剰価値を生み出すのか

生成AIが使われるようになってきてここ数年
来年にはついにAGIが生まれて人間の生活に活かされようとしています。
このようにさまざまな暮らしの中でAIというものが身近により人間の代わりに行うことで便益性の最大化を図ってくれているのです。

この代わりに行うものとしては、労働も含まれます。
これから先に人間が労働を行うことなく、AGIというロボットが代わりにオートマチックに行うことが常態化していくことが予想されます。
この時、資本的な余剰価値というものはこのAIから生まれるのでしょうか?

これは恐ろしいことで資本主義の世界においては人間の労働においてのみその余剰価値が生まれるのです。
この時、その労働をAGIが代替した場合、人間の労働によって発生する余剰価値というものは下がるもしくは皆無になる可能性があります。
この時、人間の労働とはどのように扱われていくのでしょうか

現在のままの資本主義を続けていく場合、AGIによって置き換えられる労働の価値は今よりも安くなる、または皆無になっていく可能性があります。
ここから考えられるのは人間の労働というのはより価値が下がり人々は貧しくなっていく可能性があります。
それどころか、AGIよりも安く使えるからという理由で人間が労働を“させてもらえる”そんな世界が来るかもしれないのです。

現在はその便益性の部分だけがフォーカスして考えられていますが、我々、人間がどのような価値観や振る舞い、この先のものを文化として捉えられるかということが待ち受けているのではないでしょうか
より、人間がこの存在、在り方というものがより良きものとして、考えられるのなら良いのですがそうではない、また困難を迎えるという側面を持っているかもしれないのです。
これからの時代はどうやら少しばかり難しそうです。

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