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イトーヨーカドーという想い出の喪失

イトーヨーカドーの閉店があいつぐニュースを見ていると

別にいまは利用していないのですが、なんだかさみしい気持ちになるのです。
その理由は長く住み育った街にイトーヨーカドーがあってそこによく買い物に行っていた思い出があるからであります。

住んでいる地域には大きなスーパーというものがイトーヨーカドーしかなく、いわゆるちょっとした百貨店のような役割のようにも思えました。
近くの商店街にはもちろん洋服、お肉、八百屋、魚屋、玩具屋、文房具屋と色々とありました。
そこで買い物をしないわけではないが、すべてが一箇所にまとまっているところ、それがイトーヨーカドーでした。

そこでの思い出というものは別に大層なものではありません。

幼稚園くらいでしょうか
親と一緒に夕ご飯の買い物についていく
お菓子を一つだけ買ってもらって嬉しくなっている自分
オマケ付きのお菓子を買っていて、目当てはというとお菓子というより付いているオマケのオモチャ

ゴムのモンスターや人形を集めては遊ぶ

そんな子供でした。

洋服や靴も買った、いえ買ってもらった記憶があります。

オモチャも買いました。
昔から遊ぶのが好きだったので、ミニ四駆、メンコ、ロボット、……なんでも買いましたね

フードコートでは母親と弟とよくたこ焼きを食べた思い出があります。
なんで、こんなに思い出せるのだろうと不思議に思うことも。
それはそのキッカケがあるから思い出せるということもあるかと思います。そうでなければ、唐突に昔のことを事細かに思い出すことなどありませんから……

つまりはその思い出すキッカケの喪失というものは自分の過去の記憶を失くすわけではないのですが、そのとっかかりがなくなる寂しさというものはあるものです。




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