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【目の前の暗闇の中の壁】の記憶(お腹の中かそれ以前の記憶か)からの【死】への考え方

あくまで私に限った話です。ふーんそういうこともあるんだ、と暇つぶし程度に読んでください。

私が泣いていたのは、【恐怖】から

赤ちゃんは自分の意思を伝えるために泣いて訴える。

お腹が空けば泣く、眠ければ泣く、どこか痛ければ泣く、何か不満だと泣く。らしい。そこにそれ以外の理由があったことを、どうやって私の両親が知ることができるだろうか。

私は自分自身のことを他人に知ってもらうことを好まないで人生を歩んできたから、誰かに話して知ってもらおうとは最近まで思わなかった。(だからって別に殻に閉じこもったりしない)

ましてや私の中にあるものが、他人とどこまで共通認識として持てるか、否かを、区別することは困難だ。今回は同じ記憶を持つ人、およびそれが何なのか(冒頭には生まれる前のお腹の中の記憶か?って書いたけど、それは私の憶測)推測に手助けしてくれる人がいる可能性に期待して、ここに記そうと思う。

私がまだ言葉を扱えないほど幼いとき、目の前に迫る壁の景色が頭の中に広がり、それに対する恐怖を泣いて訴えた。

目の前に壁しかない、暗闇の記憶

それは夢でもなんでもない。頻繁に頭に蘇る記憶だった。

生まれてからまだ人生の時間をほとんど過ごしていない人間に、大した思い出も記憶もないだろう。

覚えている限り、車の中や、夜、薄暗い空間にいると、それが頭の中に見えてきた。

(頭の中の)目を開けると、字のごとく目の真ん前には壁しかなくて、他の何の景色もない。ただ壁だけ。

イメージは、ノイズがかかったようなザーザーっといった薄暗い闇があり、ごく小さなぼつぼつした凹凸のあるような、壁だけが迫っていた。場面に動きは一切ない。

私は生きている。その自覚はあるが、目を開けて目に見えるものはそれだけ。音は聞こえない。自分しかいない。声も出ない、動けない。ずっとその状態が続く。永遠になにも変わらずそのままだと感じた。時の流れなんてない。想像できないほどの恐怖で、

記憶が頭を支配したとき、私は小さい人間として、言葉は使用できなかったが、恐怖というその感覚は確かに持っていた。今言葉に変換してみれば、息ができなくて、呼吸困難になる苦しい感覚、心臓が速く動いて、頭がたくさんの針で刺されているようなパニックの感覚、頭が がんがんして吐き気がするような。

その恐怖が襲ってきたときは、周囲の大人たちはどうすることもできなかった。当然なぜ私が突然泣き出したかなんて見当もつかない。

今になって客観的に、天井から見下ろすような気分で当時を観察できる。車の中で泣く私の声は非常に耳障りだった。どうしたの、って運転席からなだめようとする父親と、こっちを向いて、困っている母親が見える気がする。

しかし、目では場面が分かるけれど、頭の中の光景は消えなくて、ひたすら苦しくて、その世界から脱することはできなかった。

しばらくしてからおさまっただろうが、そういう場面に何度もあったと思う。

私に兄弟が生まれてからもあったから、3歳過ぎまで続いただろう。


死への考えに影響

小学生の時に想像していた、死んだらどういう状態になるか(この心、自我の行方)を考えた時に、目の前の壁のことが思い浮かんだ。当時友達と死について話をしたときに、ある子は、眠っているときのように何も感じない、自分を忘れた無の状態が続くんじゃないかと言った。それは忘れられない。

想像してみた。

何も見えない、聞こえない、誰もいない、時の流れが感じられない、永遠にそのまま。私がこの世界から消えても、世界は回り続け、私の知らない人たちが生き、知らない世界へと変わり、人間の生死は常に繰り返されて、地球は太陽に飲み込まれて、そこにあったものは全てなくなる。そして世界が先へ進み続けても、私は死んだ時点で止まったままで、そこに永遠にとどまったまま。地球がなくなっても私はそれを知れない。地球上で出会った人々と二度と顔を合わすことはない。私は永遠に孤独。その感覚すら持てない。パニックになりそうだ。

壁の記憶から、私の考えはそれとは少し違った。彼女は、自分という感覚もなくなる、と言ったが、私は意識は(体という形はなくても)それとして在り続けると思う。私は体と心は別物だと考える。(どこで壁の経験をしたかは定かではないゆえ、体なしでも意識がある可能性もあり)体をまとえばこの世の人生は1回きりでないともいえる。(科学的に批判されるべき意見だろうが。私は特定の宗教信者ではない。死後の世界に希望を持って自分を落ち着かせるために思い込むのでもない。この意見の根拠は、壁の話にある)


壁の話から、”私に限って” かもしれないが、この世界に生まれる前には母親のお腹の中なのか、もしくは人間になる前の話なのかは不明だが、どこかで時の流れを感じられない暗闇を経験することがあった。

そして、その時に恐怖で苦しい感覚を持っていたから、後になってそれを思い出したとき、再び恐怖の感覚を持つことになった。

ということは、今この世に生きている状態の前にも、【意識】をもっていたのだということに繋がる。

人間の体は徐々に老いて機能しなくなるから、いずれは消えてなくなる。でもこの世に生を受ける前から意識を持っているのだから、心(というべきか、意識、感覚、自我)なるものはどこかにはある。だから心と体はもとは別だと思うし、心があれば体をまとう度に人間として生きることができる。


終わりに.

実際結局何の記憶だったのか(結局断定できない)

・母親のお腹の中の記憶だとしたら、すでに人間として形成されてからの記憶だから、この世と別の時の記憶とは言えないかもしれない。では仮にそうだとしても、お腹の中の状態から自分の存在を認識できることは確かだ。

・死んでから次の体を手に入れるまでの期間を経験したのか。

・どこかで意識だけ先に芽生えた時の記憶なのか。

・赤ちゃんの時から、幻覚が見える障害なだけの可能性もしくは無意識な妄想。(これをいったらここまで書いた意味はないが)

いずれにしても、私のそういう記憶と感覚は、今の死生観にも影響している。

そして、そういう感覚を他者と共有して知りたいし、また他人の死生観とそこに考えが至った経緯も知りたいと思う。


ここまで読んでくださった方がいたら、お礼を言います。

ありがとうございます。



話は外れますが、同じ時代に生きて、めぐり合えることはありがたいことだと思います。そのたびに人は少しずつ自身を形成していけると思います。この世界を一緒に生きていきましょう。


おわり.

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