ラグナズール
普通って、本人にとっての普通が普通。大多数が支持するもののことじゃない。 幼稚園のときの友人に、本人無自覚のアスペルガー症候群がいる。周囲は彼女から遠ざかったが、私は彼女を放っておきたくなかった。むしろ自分を強く持っていることを尊敬していた。長く私は学校で心から信頼する友達なるものを見つけることはなかった。今大切にしたい友人たちの多くは、実は私も含めて発達障害と一括りにされる集団かもしれないことに気づいた。
全9部構成のエッセイ「トルコの友人 Dike」。2019年夏に2年ぶりに再会し、再び彼女のぶれないスタンスに大きく刺激を受けることとなる。彼女の施したたっぷりのおもてなしを、私は一生忘れることはないだろう。
愛情を大いに向ける相手に対しても信用が本当の本当に100%できないのは自分の最悪な点で 自分自身を好きとして自信を持たない限り 人が掛けてくれる言葉や行動に少しでも疑いをもって信用できないんだ
3日ほど前に夢を見た。私は先月から日本の家族の家に住まわせてもらっている。 最近は夢をよく見る。どれも詳細やその時の感情を文章に起こせるほど鮮明に思い出せる。たいていは狙われるか、追われるか、秘密を抱え、隠れるか。何から遠ざかろうとしているかは不鮮明だから、後にまた正体が分かったら面白いだろうな。 3日前の夢は、見覚えのある祖父母の一軒家に、殺人目的で特殊な刃物を持った侵入者たちが押し入ってくるという話なのだが、私は妹と友人を引き連れ敵の目を盗み、庭へ通じる窓から逃げてい
朝少し散歩に出たけれど、 道の途中で多種多様な死骸に出会った。 生き物が活発になる分、そういうのも目にしやすい季節だったかな、、 単に死骸に直面しやすい日なのだろうか
開始してから1か月経過して、少々奇妙ですが、私のことについて、 はじめましての文を書きます。 noteを始めたのは、自分の考えを整理して、それをキーワードから見つけてくれた誰かにも拾ってほしいと思いました。 私は90年代後半に当たる、例の魔の年に生まれ(私しかそう呼ばないかも)、思うに、近代で最も世の中と自分自身に目をつぶって幸せを錯覚して生きる世代に、埋もれて生きてきました。(親の世代も影響しているだろう) (義務教育を過ぎてからはいろんな場所を転々として生きていま
概念【家族】の位置づけ ・【家族】だから親子が同じ空間で支えながら生きなければならない を ・会話・互いを知る・認める・相談・一緒に笑う・心の繋がりから大切にしたいと思うその関係を【家族】と呼ぶ と言いたいと思ったが、 それって自分で自分の家族を作れという年齢になったということか
あくまで私に限った話です。ふーんそういうこともあるんだ、と暇つぶし程度に読んでください。 私が泣いていたのは、【恐怖】から赤ちゃんは自分の意思を伝えるために泣いて訴える。 お腹が空けば泣く、眠ければ泣く、どこか痛ければ泣く、何か不満だと泣く。らしい。そこにそれ以外の理由があったことを、どうやって私の両親が知ることができるだろうか。 私は自分自身のことを他人に知ってもらうことを好まないで人生を歩んできたから、誰かに話して知ってもらおうとは最近まで思わなかった。(だからって
白アスパラガスの季節がきましたな🇩🇪
窮屈 家にこもること、その時間を楽しむことは 自分のしたいときに、したいだけするからこそ満喫できるもので 外的な強制力が働いてするものは窮屈でしかない。 今日着たワンピースの裾の 狭まったつくりのせいで、歩幅が制限されて 自分の調子で歩けないってことも 窮屈だった、という日。
コロナって噂のように本当に熱に弱いのだろうか。 早く街に出たい。 会いたい人に自由に会えないのは困る。
誰もその人の背景を目で見ることはできない。 見た目や言語の使用能力からだけでは、その人の中身は100%判断できない。 第一印象はもちろん大事な判断材料だが、その人の経験してきたことや大事にしてきたものは言葉変換して初めて真髄に近づくことができる。 私はすべてを知りたい。
コロナで不要不急の外出自粛, お花見に行けない? 桜にとってはそんなの関係なし, 春が来たからただ今年も咲くのみ
やはり人の普通と自分の思う普通は異なる。 たとえそれが家族だとしても。 良かれと思ってすることも、相手には不として伝わり、戦いが勃発する。私は傷つけたいなんて思っていない。 どうしても誤解を生みだしてしまうのならば、考えがあっても口を閉じている方が賢明だと思わずにいられない。
何を見た、何をしたという観光の話は省くとする。 その代わりに、この滞在を通してした発見や、感謝の気持ちを記したい。 *** 結論から言うとOmarはこの4日間、ずっと運転手をしてくれた。 言葉数は少なくても常に優しく笑顔だった。そのオーラからして、あたたかく、穏やかで、優しさに満ち溢れている。 そして立ち振る舞いから賢さがにじみ出ていた。 2日目の夜暗く、若者で賑わう街を見せてくれるため車を走らせていたとき、途中で道に迷った。たどり着く手段として、ナビよりもま
翌朝、昨日決めた通り8時すぎにジャケットとバッグを持って下に降りた。 彼女は部屋着姿で紅茶を沸かしていた(二重になったポット。初めて見た)。 そしてオーブンにパンを入れ、お皿を用意した。 「よく眠れた?今日はたくさん歩いて足が痛くなるよ。サンダルよりもスニーカーで行くのがいい。ちょっと格好悪いけど、そっちの方が大事。」 私はいまだお腹いっぱいである。でも少しは入るだろうか(結局その少しの隙間に目いっぱい詰め込むことになった)。 冷蔵庫からはチーズ、バタ
1時間半が経った頃、下に向かう用意をした。 キッチンの方から食器の当たる音が聞こえる。 Dikeは料理の真っ最中だった(ほとんど終えていたが)。 テーブルには4人分のナフキンと食器が用意されていた。 「二種類のスープと、これがさっき買ったチキン、これから揚げるもの。昨日買ったCowの肉..なんだっけ?― Beef、そうBeef。全部試してほしい。トルコの料理を全部味わってほしい。あ、何か知っている料理があったら教えて。作ることができるから。」 彼女は座ってて、と
「今から家に向かうから、今日はゆっくりして明日に備えて。今日は飛行機で疲れただろうからリラックスして。」 車の窓から、彼女のもう一つの仕事場であるテレビスタジオを教えてもらい(なんと彼女は私が知らないうちに、テレビキャストも務めていたのだ)、車中では携帯電話で彼女のお母さんに挨拶した。 「今日はosmanのお父さんが尋ねてくるから、もっとお肉とかパンを買う必要がある。Leaは疲れてるから、一度家に帰った後買い物に出かけてくるね。」 ー「いやいや、このまま直接