知能と心と円周率
【知能の問題】と【知能数量の問題】とがありますが、向き合うのが【知能数量の問題】である人だと知能が濃くなりにくくなります。
なぜなら、知能とは濃さであり数量を考えることは純粋に無駄だからです。時間の浪費と能力の浪費を生む主要因です。
【知能数量の問題】で考える段階で【知能の問題】があります。
人間に重要なもののひとつは知能であって最重要と思わなければ【知能の問題】があります。
知的に障碍がないと社会的に認められていても【知能の問題】と【知能数量の問題】で考える人には、知的に障碍持ってるとされてるヒトとの差異分の拓きがあります。
社会的に知的に障碍ないと言われてるヒト →知的に障碍あると診断されたヒト
【知能の問題】だと考える人 →社会的に知的に障碍ないと言われてるヒト
上記の右矢印(→)の間の差異の拓きは同じ程度です。
知的に障碍があると進むためのベクトルに曲線ができます。
これがπに近づけば近づくほど堂々巡りで繰返しとなり、進むことはしません。
維持するような宇宙で星はπに近づくことで進まず、維持という安定的な運動を繰り返します。
星の成長はリスクだと考えられるからです。
しかし寿命ある人間はそれだと永続的に子供のままだと成長しない未熟な状態と認識されません。
(12/4 16:27 上記は下記の意味 加筆訂正)
[しかし寿命ある人間はそうなると、永続的に子供のままの成長しない未熟な状態と認識されます。]
社会の形成は知能が少し必要です。
その為、人間は成長します。
成長とは知能を伴うもので、いわゆる心の成長は関係しません。
心は実感に関わり、実感なくとも成長(知能が伴ってる)はしてます。
俗に言う『心が成長した(主観)』は、『実感できた』ものです。実際成長してるかはまた別です。
論理を伴わないならそれは心が成長してないか知能が実感に追い付いてません(不足、十分条件不足で必要条件は合ってる)。
そして、『心が成長した(客観)』は、周りの実感があるだけで当人は実感してないことが多くあります。
当人は『(どうやら成長したようだ(主観))』な状態でまだ知能や心が追い付いてないです。