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丁寧に生活することは今を楽しむ、幸せへのリハビリでした。

以前は毎日を丁寧に過ごすって意識がなく。
丁寧どころか、生活の全てを意識してなかったです。

意識っていうと大袈裟な、と思われるかもしれませんが
家を出る時に鍵をかける、アレに近い感じです。

歩き始めてしばらくすると「あれっ、鍵かけたかな?」的な。
鍵をかけるのって流れ作業のようにクセづいてるから
ほぼかけてます、でもはっきりは思い出せない。

いつも通りご飯も食べた、テレビも見た。
でもはっきり思い出せない。

その感覚では自分の好きなこと、したいことなんてわかる訳ない。
自分を好きになるなんて夢のような話し。

結局、地に足がついてなくて、フワフワしてて
目の前ではない他のことに気がいって足元見れてなかった。


地に足をつけたいと思って受けたチャクラのクリアニングを
続けるうちに。
もしかして今までって
鍵の話しじゃないけど、毎日を流れ作業のように過ごしてる、
毎日を消費してたんじゃないの?と思えてきて。

少し丁寧に生活してみようと思い、食べることは好きでしたが、
以前は食べることにしか興味なかったのを、
味わうことやお皿の盛り付け方、内容なども考えるようにしました。

丁寧にしようと思ったからってスムーズにいく訳ではなく
これは自分にとって必要じゃないのか?とか
やりたくない事はしなくていいって言ってるしーとか
最初は面倒くさーい、邪魔くさーいさんが顔を出します。

長年の思考のクセがそんな簡単に自分の思う通りに
習慣化されることはなく、
面倒くさがりさん、言い訳さんに譲ったこともあります。

その自分も認めて、なだめながらやっぱりやろーって奮い立たせる。


地に足はついてるけど、
今、ちょっとブレてる、上手くいってないくらいの人なら
なんとなくやりたくないの感覚は大切にしたほうがいいと思いますが、
地に足をつけるスタートなので、自分の感覚より
やること、行動することを優先させました。

今は楽しむという感覚が強くなって、こっちの方がいいかな?とか
これはどうかな?と考えるのも楽しくなって、
InstagramやFacebookに載せて見てもらってます。

何歳になってもこうありたいという想いは叶うと思います。

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