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声にならない声に耳を傾ける『自分の薬をつくる』(坂口恭平)
『0円ハウス』や新政府の立ち上げなど多彩な活動をする坂口恭平さん。自らの躁鬱病の体験から、電話番号を公開して同じような漠然とした不安や悩みの声を聞く「いのっちの電話」を続けています。
悩みって自分で抱えるもので人に話しにくいし、だから人から打ち明けられることも少ない。
坂口さんは「いのっちの電話」のやりとりを診療所に見立てて、皆で皆の悩みを聞いたらどうなるかと考えた。本書は実際に行われたワークショップをまとめた一冊。
自分に声をかけるように、内なる声に傾ける。そうして坂口さんはまさに「自分の薬をつくる」ようになりました。
あえて病名から離れて主体的に解決するその姿勢は心に響きましたし、ひとりの人間がもたらす心理的安全性の力に感動さえ覚えました。
薬とは日課である
躁鬱病と診断された著者は、薬があまり効かず悩める日々を送っていました。自分の嫌なところや頭にたまっているモヤモヤを書き連ねるようになった。
信頼できる友人とのやりとりによって、それが自分の声にならない声に耳を傾けることだと気づきます。
そもそも現代は情報過多でインプットの機会ばかり。アウトプットの方法は誰も教えてくれないし、外からの情報を取り込みすぎる状況になりやすい。
インプット偏重の生活を送っていると体が危険のサインを出してきます。
だからこそ著者は「書くこと」を日課にすることで自分の薬をつくっていきました。毎日飲む薬は抽象化すれば「日課」といえます。
そう、薬とは日課なのです。
自分の日課が書くことなのかは人それぞれ。毎日、手編みで何かつくることも考えられます。
ぼくは結果としていまこのnoteが日課になっているけれど、知らぬ間に効能があるかもしれないなあ。
診療所という設定
ワークショップでは診療所があって、一対一のやりとりがなされる診察室、またホワイトボード一枚を隔てて待合室があります。
ようするに診察の対話はあえてオープン。参加者には「その体裁で演技をしてほしい」と伝える著者のちょっとした工夫も光ります。
こうやって、人前でみんなで演じてやってみようと、私が音頭をとって、少し空間をいじるだけで、今まで声になっていなかったことが、人々の口から漏れ出てくるんです。
それをみんなが観客として、その演劇を楽しむことで、悩みが共有されて、その人個人から抜けでて、私たちが構成している社会の問題として、その嘆きの声として、聞こえてきます。
あとは2万人の声を電話で聴いてきた著者の圧倒的な味方感に驚きます。診察が終わると薬出すように電話番号やメアドを伝えていく。
いつでも困ったときに声を聴いてくれる相手がいること。これがどれだけ人に安心感を与えるか。
坂口「続けたいんだったら、週に一回、僕に連絡したらいいよ」
内田「はい」
坂口「報告する相手がいたら日課は絶対続くよ」
内田「えっ、電話していいんですか?」
坂口「うん、いいよ。じゃ、大丈夫かな?」
内田「はい」
そのうえで坂口さんは否定をいちど横に置き、やりたいことを聞き出します。
「それでは1周間後にいまやりたいと言った楽曲つくるための企画書を私宛に送ってくださいね」のようなかんじで。
半ば強引な宿題が出るのだけど、ここの絶妙な按配・加減も見逃せません。
「いのっちの電話」に戻ると、声を発することって大事なアウトプット。頭の中の思考をつかまえて言葉にして書いたり、声にしたり。
情報のなかでも言葉が占める割合が多い。言葉とどううまく付き合っていくか。ここに行き着くのではないかなあ。
というわけで以上です!
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