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『思考のレッスン』(丸谷才一)を読んで

『思考のレッスン』を読みました。

お恥ずかしながら、一時期は丸谷才一と丸山眞男を同一人物として認識してしまっておりました。あれ?丸谷才一って『日本の思想』の方でしたっけと。おそれいります。

『思考のレッスン』は、タイトルにある通り「思考」について書かれています。鹿島茂さんが解説において論文指導に適した本であると言ってます。たしかに学生に役立つ面はあるでしょう。

それ以上に感じたのはすばらしい文学論であるということです。丸谷才一自身の原点から言葉を紡いでいるので、パーソナルな部分も感じられ、内容がスイスイと頭に入ってきます。

ぜんぜん知らない世界なのだけど、丸谷才一が自分ゴトにするロジックは知っているから、そうなんだと読めてしまう。

序盤は彼の生い立ちがていねいに語られ、なぜ丸谷才一のような考え方に至ったのか、自ら人生を振り返ります。

中盤からは考えること、「思考」に焦点を当てて話が進みます。総じておもしろいのですが、自分が大事にしたいと感じる3箇所をピックアップします。

イギリスの伝統アマチュアリズム

一番の典型が、シャーロック・ホームズなんです。シャーロック・ホームズはたいへんな名探偵であり、警視総監もかなわない。でも、それによって食べているわけじゃなくて、一流の知識人が、趣味として探偵をしているに過ぎない。

もちろんプロの職業的文学者はイギリスに存在するのだけど、心がけとしてアマチュアであることを大事にするきらいがあるらしい。こういった態度がイギリス人のあらゆる知的行動の基本にあると。

いま日本の世の中もそういうアマチュアリズムの流れからおもしろいものが生まれています。本業じゃないからこそ、イノベーションが起きるといいますか。

アマチュアの使い方がイギリスとズレていそうですが、お笑いではラランドの女性の方であるとか、心から応援します。

そういえば、上岡龍太郎はかつてテレビの芸人のふるまいは、素人が芸をするか、スターが私生活を見せるか、この二つのどちらかと言いました。

イギリスのスタンスが知的な人間が素人芸として文学をするとして、上岡さんはこういう文脈で上記の発言をしたのだろうか。関心があります。

本の世界におけるバトンつなぎ

本の世界は、一人の著者が何人もの著者にバトンを渡して行く。受け取った何人もの著者がまた走って行って、さらに何人もの人にバトンを渡すという仕組みで次々とつながって行く。それによって、人間の文化は続いてきたわけです。

かつてマクルーハンは、アルバート・ロードの『物語詩の歌い手』の続編が自身の『グーテンベルクの銀河系』だと述べました。バトンがつながっています。

学術論文だけじゃなくて小説の世界ももちろんそうだと。おもしろいなあと。

ここで丸谷才一がもっとも言いたいのは、人のために読むべき本を選ぶとして「一冊だけはありえない」ということです。

たくさんの本の中にあって初めて一冊の本は意味があると。それはバトンの話の通り。

本を読んで純粋に楽しむスタンスがあるとして、周辺も読むことでどんどんハマり、楽しみが増幅する理由もこの話から説明ができる気がします。

考えることと遊び心

人間がものを考えるときには、詩が付きまとう。ユーモア、アイロニー、軽み、あるいはさらに極端に言えば、滑稽感さえ付きまとう。そういう風情を見落としてしまったとき、人間の考えは堅苦しく重苦しくなって、運動神経の楽しさを失い、ぎこくちなくなるんですね。

たとえば何かアイデアを出そうとして思い悩むとします。重苦しくなっている状態のときにひらめくなんてことはまずないんですね。それを乗り越えて諦めた先にあるっていう考えもわかる。

でも、基本フラットの方がいいというスタンスです。

丸谷才一は詩が付きまとう表現を用いて遊び心が必要だと説きます。もっといえば、最高の遊びこそが、ものを考えることなのです、と。

それでは最後にレヴィ=ストロースがピカソを褒めている一文を紹介して終えます。レトリックの使い方ふくめて読ませます。

ピカソの天才性は、絵画がいまも存在しているという幻想を与える点にある。油絵という名の難破船がわれわれを海岸に打ち上げる。そうするとピカソは、その漂着物を集めて何かをつくる、そういう人だ。

というわけで以上です!

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