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人生の教科書『わたしの渡世日記』(高峰秀子)を読んで
『わたしの渡世日記』を読みました。
本書は、松岡正剛氏いわく「オマセの爆発」であり、楠木建氏いわく「運命の一冊」であり、彼女こそ最高度の知性と教養の持ち主だと。
これは読まねば!
正直、高峰秀子を知りませんでした。画像検索でなんとなくお顔は見たことあるなあ、くらい。
あとは本書を読みながら、YouTubeをチェックしつつ。
一見、敬遠してしまいがちだけど、これから知る喜びがありますし、上下巻あるけれど、必ずセットで読むのがオススメ。というか、読めばぜったいに下巻が読みたくなるはず!
さて、読みます。まず頭の中に浮かぶのは「オマセ」。昔の映画スター、たとえるなら桃井香織のエッセイ的なもの?
やがて読んでみて感じるのは、嫌味なく自分を抑えているというか、ご自分を下げているってこと。そこがオマセなのでしょうが、徹底しています。
たとえば高峰秀子は、5歳から子役としてデビュー以降、田中絹代、谷崎潤一郎、梅原龍三郎、小津安二郎などスターに愛されました。
とにかく重鎮が愛したのです。彼らの描写はていねいで、そこに歴史的な価値・発見があるのではないかと思うほど。(太宰治との会食のシーンなど笑えます。)
ただし、寵愛については「なぜか私は可愛がられて〜」ぐらいしか筆を綴りません。
ところどころ、自らを人気女優と称しています。が、そのくだりは、育て親である養母からお金をせがまれて財布の中がすっからかんの状況に対しての相対化。皮肉として使っています。
もちろん、高峰秀子自身の心情の吐露はあって、たとえば上巻の終盤から下巻にかけての戦争にまつわる記述には胸を打たれるものがありました。
戦時中、日本軍のために軍歌を歌い、士気を鼓舞していたのに、戦後から半年も経たぬうちに今度は米軍の将兵のためにショーをしている自分に対して。
「昨日までの自分」と「今日の自分」のつじつまは絶対に合わないはずなのに、私はそれに目をつぶり、過去という頁をふせて見ようともしないのだある。なんという現金さ、なんという変わりの早さ。
人気商売とはいいながら、こんなことが許されていいのだらうか...。人には言えない、妙なうしろめたさが、私の背後に忍び寄って、夜となく昼となく、とがった爪の先で、チョイ、チョイと私をつつくのだ。
全体を通して感じたのは、高峰秀子の引き受け精神です。女優はけっして自分が望んだものではなかった。事実、きっかけはなりゆきです。
でも、自分ができることをしなければ一家を食わせることはできない。
そうして確固たる地位を気づきました。育ての母とはわかり合えないけれど、たくましく生きている様は肯定してあげます。最後にクリップして終えます。
母なりの母に、私は私なりに「かあさん、ありがとう」と言いたい。いや、そうでなきゃ浮かばれないし、ドラマの結末はつかないだろう。
というわけで以上です!
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