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『人間とは何か』(マーク・トウェイン)を読んで

あのヘミングウェイが「すべてのアメリカ文学は『ハックルベリー・フィンの冒険』から始まる」と言った。アメリカ文学の最高傑作といわしめる作品を生んだのがマーク・トウェイン(光文社古典新訳文庫で読んだけど大傑作)。

ユーモア作家の印象があったのだけど、解説によればだんだんと作品に暗い影が差すようになり、ペシミスティックな方向に流れた。

で、その象徴ともいえる作品が本書。晩年のトウェインの世界観、人間観、人生観が凝縮されている一作。

本書のつくりは一貫して哲学書的な対話形式。何かを悟ったような老人と、人間の良心を信じる若者がお互いの主張をぶつけ合い、ずっと平行線をたどります。

読み取った主題は以下の3つです。

①人間は外部からの影響でつくられる
②利己的な行動原理しか存在しない
③生まれ持った気性は変えられない

ここでは①について考えてみます。

「人間は機械でしかない」。すべて外部の力であるという老人に対して若者は「ではアダムは?」「ではシェイクスピアは?」と質問。

トウェインの創作論

つまり、外部からの力、暗示、経験(本を読むことや、劇を観ることや、舞台で演じることや、いろいろな思想を借りること、などなどたが)、それらが彼(シェイクスピア)の心のなかに様々な図案を作りあげ、彼の心の複雑な称賛すべき機械を起動させたのだ。

ふと思い出したのは、宮崎哲弥さんが仏教の「縁」のお話。「縁」とは、相手の変わりに応じて自分が変わり、その自分の変わりに応じて相手も変わるとうこと。

人間は環境要因の影響を受けるし、本当の自分なんてない。だから『マイ仏教』でもおなじみ、みうらじゅんさんは自分探しよりも「自分なくし」をしなさいと言った。

創作論の話に戻ると、ジャン・コクトーはオリジナリティという言葉を嫌ったし、創造において「模倣」は重要なファクターになる。三島由紀夫は「創造とは模倣の頂点」あると述べ、小林秀雄は「創造の母は模倣」という言葉を残しました。

「外部の力」の話は、人間とは何か、オリジナリティとは何かとかとか幅広いテーマを読者に提示してくれます。

ここのとらえ方が著作権のあり方のスタンスにちがいをもたらしている気がします。

というわけで以上です!




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