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『おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス』(松尾芭蕉)を読んで
本書は角川のビギナーズ・クラシック。現代語訳から解説、ところどころ登場するコラムまで、いたれりつくせりな一冊です。
まずは『去来抄』にある芭蕉の大好きなエピソードを紹介します。
下京や雪つむ上の夜の雨
野沢凡兆の名吟とされているものですが、最初に「雪つむ上の夜の雨」がこちらもできていた。
で、上五をどうするか。芭蕉は「下京や」で決まりだと言った。しかし凡兆はなんとなく納得していないかんじだったらしいのです。
すると芭蕉は「これ以上のものがあるなら、自分は二度と俳諧については語らない」と断言した。
『おくのほそ道』にもそんなんありました!
日本語の細部に宿るセンス
たとえばこの不朽の名句のプロセスが語られています。
閑かさや岩にしみ入る蝉の声
「閑かさや」に確定する前は「さびしさや」。
また「しみ入る」に定まる前は「しみつく」「しみこむ」だった。
解説にあるように「閑かさや」の方が主観を超えた寂寥感が感じられるし、
「しみ入る」の「入る」が持つ浸透のニュアンスには及びません。
で、『去来抄』で知ったことなのですが、芭蕉は弟子も多く、俳句は複数人で意見を出し合いながらつくりあげていっているんですね。
『おくのほそ道』、じつはひとり旅じゃない!
曾良とのふたり旅
『おくのほそ道』では曾良という弟子が芭蕉に同行しています。途中、曾良が読んだ俳句も本書に登場します。
曾良は蕉門十哲のひとり。同行(秘書に感覚としては近いのかも)に抜擢されるのは芭蕉からよほどの信頼を勝ち得たのでしょう。
選ばれなかった他の弟子は袖を噛んで悔しがったのか。それとも曾良しかいないと拍手で送り出されたのか。弟子たちの心象を想像してみるのもおもしろい。
曾良はなんと旅路の途中で病に倒れます。旅を断念することに。では、芭蕉は完全に独りかというと、代わりに北枝が供をすることになります。プレッシャーはあったのかしら。
ちなみに北枝は、金沢の俳人。無心で俳句に打ち込んでいる様に芭蕉はいたく感動します。当初からの予定だったのか、いくつかお供した後に別れます。
創作としての楽しみ方
松島からの移動の場面だったでしょうか。宿もなく人にも断れるし、道には迷うは大変だと、芭蕉が愚痴をこぼしている箇所があります。
ところが実際にはそんなには苦労しておらず、ここは「流れ的にそうした方がいい」という創作なのだそうです。なぜそういうことがわかるかというと、一つは曾良が記した『随行日記』があるから。なんと!
読み比べてみるのもおもしろそうです。角川には本書に『随行日記』を収録したバージョンも出ています。ちなみに『おくのほそ道』では食事のシーンがわずかしか出てきませんが『随行日記』では30回ほど登場するのだとか。
複数人で旅をして、同じ経験をしたはずなのにエピソードトークをすればきっとそれぞれがそれぞれのことを話すように、創作の有無問わず、どこにフォーカスするか人の「編集」が入る。ここも味わい深いです。
支援者の存在
『おくのほそ道』では、いってみればお金が全然ないような旅をしている、そんな書きぶりです。
ただし当時で考えてみれば、日本全国を旅するだけで莫大なお金を必要とします。で、芭蕉には全国各地に支援者がいたと言われているようです。
武田鉄矢さんの説を思い出しました。「坂本龍馬には金融を通じたネットワークなるものがあって影の支援者がいた」。説といえば松尾芭蕉の忍者説、どうなんでしょうね。
著名でお金のある方が一時的な「隠遁」の生活を送り、そのときどう感じたのかを言語化する。ふと、オードリー若林さんがひとりキューバに行ったのってどこか芭蕉的なのかなと思ったり。
というわけで以上です!
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