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『語源から哲学がわかる事典』を読んで

『語源から哲学がわかる事典』を読みました。

本書は、基本的な哲学用語の語源にさかのぼって意味の推移、翻訳、文脈などを解説しています。

登場人物には西洋哲学の基礎としてプラトン、元となるさまざまな言葉をつくったアリストテレスが多め。デカルトもちょくちょく。あ、物体がないと言い切ったバークリが取り上げられてます。ラッセルがその著書『哲学入門』でがっつり否定してたあの人だ。個人としては、入門書というよりも語源を切り口とした哲学書という印象です。

もっとも印象にのこったのは終章のまとめでした。ここでの論旨は、我々が日常生活でいかに西洋哲学的な世界観の影響を受けているかというお話。

そこで著者は「自己決定」や「自己責任」といったものを強調しがちな風潮に対して懸念を提示します。それは、「自由意識」と「やりたいという感情」とが混同してしまっている、という指摘です。

著者の考えを先にクリップします。

私の考えを簡単に言うと、意志とは、感情を動機としつつも、客観的な状況や他人の目などといったものまでを総合的に比較検討して、ある意味、必然的に決定するものである。選択肢のうちのどれが好ましいかという話ではない。
それに対して感情とは、眼前の状況に対する反射的な反応である。
(中略)つまり、意志は瞬時に決定できるものではなく、多数の情報や他の人の意見わ集めて比較検討した上で決定するものなのである。

「意志」と「感情」は別モノである。かなりスッキリしました。何もかもが「自己決定」だとすると、すべてが「好きなようにしてください」になってしまう。サルトルが人は自由という刑に処されていると言ったように、それほどに「自己決定」とはハードルが高く、重みがあると再認識。

任天堂の社長を歴任した岩田氏は『岩田さん』のなかで、自分がやるべきだと客観的に判断したから自ら社長を担当した、そんなようなことをおっしゃっていました。やりたいなんて感情はなく、つまり「したい」ではなく客観的に「すべき」で決める。まさに意志だなと。

もちろん意志決定に感情はないのかというとそうではなく、意志において感動は動機であり、根っこにあるのもたしか。自分のなかで「したいかどうか」また「すべきかどうか」両方考えられるとよいのでは、そう感じる今日この頃です。

思いのほかのところで学びがありました、
というわけで以上です!

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