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『新訳 茶の本』(岡倉天心)を読んで
日本のことを英語で世界に発信した偉人といえば内村鑑三、新渡戸稲造、岡倉天心。あ、鈴木大拙もそのなかに含まれるでしょうか。
さて今回は岡倉天心の『茶の本』です。
角川の新訳版が素晴らしいのは、ところどころ解説を入れてくれていること。そして「エピソードと証言でたどる天心の生涯」の収録です。
岡倉天心はその生涯を知った方がぜったいにおもしろいですね。(自分のラブレターまで晒されて本人は怒っているだろうなあ)。まあ、とにもかくにも、まずはここから読んでもよいと思います。
天心の英語力
岡倉天心は幕末生まれ、横浜育ち。いまの元町・中華街あたり、日常的に海外の人が行き来する街。父の意向で宣教師の英語塾に通うなど幼い頃から英語を学びます。
感覚的に英語を身に付けた天心にとって英語は母国語、バイリンガルなんですね!
さあ、そっからです。十四歳で東京開成学校に入学(予備校から大学一期へ)。要するにいまの東大ですね。めちゃめちゃエリート。
大学に入ってからはハーバード大学から雇われたフェノロサとの出会いがありました。英語堪能を買われて通訳、そしてフェノロサがのめり込んだ古美術収集を手伝うようになります。その当時は美術にあまりピンときてなかったのだとか。
芸大は天心がつくった
官僚となった天心は引き続き交流のあったフェノロサとの欧米視察を経て、日本の美術行政に注力することとなります。やがていまの芸大である東京美術学校を創設します。初代校長は岡倉天心。
そこからのスキャンダルは割愛しますが、本書では九鬼周造の当時の思い出も引用しています。意外にもていねいにひろっているところがまたおもしろい。天心の「凋落」という機会をつくったという意味では重要なのでしょうね。
印象派と天心
山種美術館や岡田美術館でいくつか天心に関連する画家の作品を観ました。いまでこそ違和感ないですが当時は「朦朧画」といわれ揶揄され、さんざんな評価だったと。
まさにこれって印象派とおんなじなんですね。本書の解説にはこうあります。
没線描法、朦朧画は、決して、印象派の模倣ではないが、形骸化、類型化した伝統技法を打破して、新鮮な感性の表現をめざすという同時代的意識を共有するものだったといえる。
欧米視察で天心は何を思ったのか。自分のなかでどう解釈して、横山大観や菱田春草らに伝えていったのか。興味がわきます。印象派と同時代っちゃそうなのか。
スキャンダルと雲隠れ
「官」から「民」へシフトした天心。その代わりにこらしらえた日本美術院の経営がどうもうまくいかない。スキャンダルもまだひきずっている状態。
そこで天心は美術院の仕事を残したまま、インドに旅しちゃうんです。
で、そこでタゴール(ノーベル文学賞受賞)らと交友を温め、ちゃーんとインプットして帰ってくる。ここがすごい。
本書に収録されている『東洋の理想』の内容に生かされているといいます。「Asia is one」という天心のアジア思想は、中国そしてインドの旅にたしかな影響を受けている。
ちなみに『茶の本』にはこんな記述があります。
日本芸術の歴史とは、とりもなおさず、アジアのあらゆる理想の歴史そのものであるのだー次々と打ち寄せてくる東洋思想の波が日本人の民族意識にぶつかって砂に跡を残していく砂浜のように。
老荘思想を体現していた天心が選んだのが茨城県の五浦(いづら)が気になりました。
いずれにしても天心の作品は、その生涯といっしょに楽しむのがよさそうです。
というわけで以上です!
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