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300年前の健康論『養生訓』(貝原益軒)を読んで
昔の文豪は身体と心を別物扱いしていたから、どれだけ身体に酒を入れて生活が荒れても精神は無事だと信じて死にかけながら筆をとっていた、そんなイメージを持っています。
どうやら自分の経験上、身体と心は密接に関わっていて、貝原益軒先生の言葉を借りれば心は身体の主人であって、身体は心の下僕である。
心が上にくるんですね。いや、そうか。
デイリーポータルZの林雄司さんはでアイデアを出すために自分をごきげんにさせると語っていたし、ニッポン放送のヨッピーさんは『没頭力』で、人は年々、自分自身のごきげんの取り方が上手になると語っていた。
石川善樹さん、ドミニク・チェンさん的にいえばいまウェルビーイングが注目されていて、それでは幸福かどうかを何が決めていくかというと「心」だと思うんです。
さて本書は300年前、84歳まで長生きした貝原益軒先生による健康論。まさに「心」を説いています。
ざっくりまとめると「よりよく生きるためには「欲」のコントロールが肝要である」と主張しています。
化粧品会社の社長が「私が証明します」なんてCMで言ったけれど、益軒先生の実践が入っているからその言いっぷりは目をみはるものがあり、そして説得力があります。ちなみに衛生学的な観点ではいまでも通用するのだとか。
響いたところをいくつかご紹介します。
養生の術は、まずは自分のからだをそこなう物を遠ざけることである。からだをそこなう物は、肉欲と外邪とである。
肉欲というのは飲食の欲、好色の欲、眠りの欲、しゃべりまくりたい欲と、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情の欲のこと。
人のからだには、口・腹・耳・目の欲があって、からだを攻めるものが多い。古人の教えに最高の養生法がある。それは孟子のいう「欲を寡(すくな)くする」ことである。
興に乗って戒めを忘れてはいけない。欲に制限をつけないと禍になる。楽しみが最後までいくと悲しみのもとになる。
『現代経済学の直観的方法』に、現代の資本主義において人の「願望」がどんどん短期化してきているという指摘があった。
「欲」が短期化して刹那的に消費し続けやすい構造になっている現代こそ、楽しみが最後までいきがち。「悲しみのもとになる」っていう表現はしっくりきました。
最近、気をつけながらも久しぶりに知人と食事をすると、頻度が減ったぶん、つい長居してしまいがち。しゃべりすぎも、眠すぎも根底には「欲」があって抑制した方がいいみたい。
人生、何事も腹八分目がちょうどいいのかもしれませんね。
というわけで以上です!
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