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遠いトスカーナのキッチンで出会って、結婚式に来てくれた友人



“いつかあなたの結婚式をするときは、わたしのことを呼んでね”


彼女がキッチンの椅子に座ってにこにこイタリア語でそう言ったとき、私はほとんど迷いもなく”もちろん”と返した。

でも、本当にそうなった時のことなんて
その時は考えたこともなくて、でもその約束だけがやけに頭の中に残った。


トスカーナのキッチンで出会った彼女は、
ソウル生まれで、わたしより5ヶ月先にトスカーナのそのアパートに住んでいて、何も分からず辿り着いたわたしの事を随分助けてくれた。

語学が凄く堪能で、いつも口を大きくあけて明るく笑う彼女は、賑やかなイタリアでの毎日によく似合っていて、

年の近い私たちは、
迷い込んできた近所の犬や、新しく来た困ったルームメイトことや、いつも小さなことで大笑いして、側の国で生まれたのに、遠いトスカーナで仲良くなって、どちらの母国語も使わずにいつもイタリア語でお喋りした。


私たちが話しているのを見ると、時々他のヨーロッパの学生のたち、(大抵は少し年上のシニョーラたち)が”偉いわね”と言った。


私たちが同じ言葉を喋れるのに、
わざわざイタリア語を喋ってるのだと、彼女たちが思ってたと知って、私たちはその度に、「わたしたちはイタリア語でしか会話できないの」と笑って答えていた。



実際私たちは、片言で相手の言葉を知ってるだけで(一緒に暮らしてるあいだ、私は随分、彼女に変な日本語を教えてしまった気がする)

いつも自分にとっての第二言語で会話をしていた。それでもお互い、不思議なほど何が言いたいのか理解できたし、相手が該当の単語が出てこない時、すぐに、これかな?と言って、渡すことができた。


遠い場所で、全然違うところで育ったのにそれが凄く心地よくて、彼女がアパートを出てからもそれはずっと続いた。



さて、それから二年と少し経って、
私は17歳の頃から9年付き合っていた彼と本当に結婚することになった。


真っ先に嬉しくて胸が高鳴って、それからあの約束を思い出した。


最初はあまりにも現実味がなかった。
緩和してきたとはいえ、まだ海外が前ほど開かれてはいないと思ったし、

あれはトスカーナのキッチンで何気なく話したことばで、彼女は本気じゃないかもしれない。側の国とはいえ海外なのだから誘って困らせてしまうかもしれない。


ぐるぐる。ぐるぐる考えた。
ほんとに数ヶ月かけて、考えが行ったり来たりしながら色んなことを考えたあと、私は彼女にメッセージを送った。


“私の式に来てくれる?
もしあなたが来てくれたら凄く嬉しい”


もちろん滞在するホテルはこちらで手配
お祝いも一切必要ないと伝えた。それでも、困らせてしまうんじゃないかと心配で、返事が来るまではどきどきした。


“もちろん。
あなたが私を招待してくれて嬉しい。
必ず行くから待っててね!”


一時間もしない内に、
何にも迷い一つのない彼女の返信が来て、私は笑ってしまった。

私はそれから、イタリアで出会った彼女と共通の日本人の友達や、好きだなぁと思う人たちに声をかけた。


“私の式に来てくれませんか?
あなたが来てくれたらとても嬉しいです”


素直にそう伝えた。
断られてもいいと思った。
困らせてしまっても。
そして、みんな、行くよと返事をくれた。


大切な人たちが来てくれると知ったから、
結婚式の準備がとても楽しみになった。



式の前々日、三年ぶりに彼女にあった。
横浜の街の海辺を散歩しながら、色んな話をした。二人とも、少しイタリア語を忘れていたのにやっぱりお互い何が言いたいのか、ちゃんと分かっておかしかった。


二人でいっぱい話した。
分かれてからいままでのこと、最近のこと、イタリアで過ごしていた時のこと。

いっぱい笑って、二人でお寿司を食べて、それから彼女がお祝いにと沢山プレゼントをくれた。

その中に木彫りのおしどりの置物と、彼女が日本語で書いた手紙があった。


そこには、その置物のおしどりは韓国の昔ながらの縁起物で、結婚のお祝いの品として渡すもので、自分を式に招待してくれて嬉しかったと、そう書かれていた。


すっかりウルウルしていたのに、
それまで丁寧に「あなた」と書かれていた二人称が急に、彼女が使ったGoogle翻訳のせいで、唐突に「オマエ」になって、私は思わず笑ってしまった。


彼女がどうしたの?と不思議そうに笑うので、私は泣きながら笑って ”嬉しいんだよ。来てくれて本当にありがとう。”と答えた。



式当日は、彼女の専用に自分で作った、ハングルで書かれたペーパーアイテムをテーブルに置いて置いた。


友人にも、家族にも彼女のことを話しておいた。いっぱい話して、一緒に写真を撮った。


そして、最後の手紙で友人のひとり一人に言葉をかけた。彼女にかけた言葉は”Grazie”.


私たちを繋いだ土地の、感謝の言葉だった。



結婚式から一ヶ月がたって、
私たちの生活がすっかり落ち着いたこの頃、あの結婚式のことを思い出す。


それから式の間、目が合うたびに手を振り合った彼女のことも。お祝いはいいよ、と言ったのに、彼女はどこで調べたのか、きちんと相場のお祝いを包んで、にこにこ笑って帰国していった。


あと数年、きっと会えないかもしれないけれど、私たちはいつ会っても、きっとトスカーナのキッチンでそうしていた時みたいに変わらず話せると、そう思う。




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