美しい球体になっていく
※一部加筆修正しています。
私は褒められることが大好きだ。
日常生活では「褒められ」を得るために自己アピールを欠かさない。
美味しいコンビニスイーツを食べて夫が喜んでいると、横から
そのスイーツが美味しいと教えてあげたのは誰かとささやく。
同様のやり取りが生活の至る所にはさまれるため、この時点で夫は若干しぶしぶモードに入っている。
「‥‥たいたいちゃん」
もうほとんど「褒められ」をもぎ取っているに近い。
一度足裏マッサージをしてもらった時、私は足の裏をとても褒められた。
どこがどのように良いのかは忘れてしまったが、とにかくべた褒めされた。
まさか自分の足の裏にこのような価値があったとは。
普段ないがしろにしている足の裏が途端に愛すべき、大切に守るべき存在になった。
その日以降私は自分の足の裏をせっせとケアしている。
同じように、昔から他人から褒められた自分の長所や得意分野を私は大切にし磨いてきたように思う。
好きなこと、得意なことをさらに伸ばす作業は基本的にとても楽しい。
もともと得意で好きなのだから、努力すれば努力しただけ成長も実感しやすい。
一昔前の日本は自分の不得意な部分を平均値までもっていくための努力が主流だった。
これって、ほんとうにしんどい。
だってそもそも不得意で、不得意なことは大抵の場合、自分の好きなことではないのだから。
不得意で好きじゃないことを努力し続けるモチベーションも続かない。
とはいえ、生きていくのに不自由なほど不得意なことがあるのであれば、最低限のところまでは努力して習得したほうがいいとは思っている。
この場合のモチベーションは、私の場合、「不便をなくす」ことではない。
苦手をある程度克服することで結果的に嫌いなことに費やす時間を減らし、浮いた時間で好きなことをするための努力だ。
限りある人生、自分の苦手にフォーカスして凹部分を埋める作業に費やすよりも、凸部分を伸ばすことに費やしたいなと私は思っている。
私は自分のことが大好きだが、自分は非常に不完全な個体であることを知っている。でも全然問題ない。
人間は社会的な動物だという。
せっかく集団で生活しているのだから、それそれの好きなこと、得意なことを活かし合い、苦手を補い合い、全体として完全な球体を目指せばいいと思うのだ。
私はこれからも、「褒められ」を収集してご機嫌に生きていきたい。
自分と他人の凸に焦点をあてて、全体として美しい球体になれたらいいなと思っている。