ワンピースと郷愁
私は九州の片隅のド田舎で、農家の娘と漁師の息子の第一子として誕生した。
両親は経済的にはどちらも裕福とはいいがたい子供時代を過ごしている。
そういう経緯もあったからか、結婚後私の両親はいたって慎ましく、堅実に毎日を送っていた。
例えば私は中学生になるまでは月々の小遣いなどはもらえず、新年に親戚からもらうお年玉で一年やりくりしていた。
年に一回友達と地元のお祭りに行くときは例外的にお小遣いをもらえるのだが、友人が千円もらうところを、私はいつも500円だった。
中学、高校でお小遣いというものをもらうようになった時も、相場と比較すると大体千円~三千円ほど少ない金額だった。
かといって決して貧しかったわけではない。
クリスマスなどの季節のイベントや誕生日にはその時々に子供が欲しがっていたものを用意してくれ、子供の好物がたくさん夕飯に並び家族でにぎやかに過ごしたし、毎年夏休みには必ずキャンプや旅行に連れて行ってくれていた。
おそらく、小学生のお小遣いはこのくらい、お祭りのときはこのくらい必要、という両親の見積もり自体が周囲の親たちより少なかったのだろうと思うし、それはやはり彼らが幼い頃裕福ではなかったことが一因だったように思う。
しかし友人よりちょっと少ないお小遣いに不満を感じることはなかった。
不思議なことに毎月お小遣いをもらっている友人はいつも金欠だったのに対し、お年玉で一年をやりくりしていた私は金欠を経験したことがない。
堅実な両親の特性を引き継ぎ、私もお金を使うことに非常に慎重な質だった。
何より蛇口をひねると延々と吹きだす水道水のように果てることのない愛情で、私はいつも満たされていたため、不足感を覚えることがなかったのかもしれない。
また着るものに関して言えば、私には4歳年上のいとこがいたため、彼女のお下がりで事足りていた。
いとこは、九州に住む私たちにとっては大都会である大阪に住んでいて、当時珍しかった一人っ子のため、届くお下がりも質のいい、どことなくセンスのあるものばかりだったように記憶している。
物心ついたころからそうだったため、洋服はお下がりが届くもの、新品は盆と正月にそれぞれ一着ずつ、というのが日本のスタンダードなのだと信じていた。
だからある日、友人が見慣れぬ柄のトレーナー(柄は猫のイラストだった)を着ていて、それは盆でも正月でも何でもない日にふっと彼女のお母さんが買ってきてくれたものだと知った時、天地がひっくり返るくらい仰天した。
何の不自由もなく育っていた私だったが、実は一つだけ胸に小さな不満を抱えていた。それがお下がりだ。
大阪から毎年律儀に届く大きな段ボール。
たくさんの可愛いお洋服たち。
どれも、私が選んだものではないものたち。
私のために選ばれたものではない品々。
あれは確か小学5年生の夏。
いつものように両親はお盆に私と妹を連れ洋服を買いに出た。
私は青いワンピースと緑のワンピースを前に、悩みに悩んでいた。
今でもはっきりと覚えている。
青い方は大胆なお花の柄のプリントワンピースで、緑の方は肩紐の部分に細いリボンが付いた柔らかい印象のワンピースだった。
頭が痛くなるほど悩んだ末、私は青のワンピースを選んだ。
ところが買ってもらった瞬間から、本当にこれで良かったのかという思いに襲われ、私はふさぎ込んでしまった。
帰りの車の中では両親に何を話しかけられてもじっと口をつぐみ、家に着くころにははっきりと「やっぱりあの緑のワンピースのほうにするべきだった」と確信し絶望した。
半年に一度、たった一着という重み。
明確に言語化出来ていたわけではなかったが、どうして友人は何でもない日に気軽に服を買ってもらえるのに私は違うんだろう。
どうして頼んでもいないお下がりが毎年執拗に届くのだろう。
何より、私の喜ぶ姿を楽しみにしている両親に笑顔を見せられない切なさ。
どうして私は大事な選択を誤ってしまったんだろう。
そんなもやもやが胸の中でとぐろを巻いていた。
私は選択を誤った自分への怒り、お下がりへの不満、友人と比べた時に感じた理不尽さのようなものを一気に両親にぶつけてしまった。
「青いワンピースは嫌!緑の方が良かった!」
複雑な思いは一向に言葉にならず、ただただ私が欲しいものはこれじゃないということだけを大泣きしながら両親に伝えた。
わあっ…と畳に突っ伏して号泣しながら、次の瞬間には父と母に対する申し訳なさが噴き出した。
楽しい一日になるはずだったのに。
私の喜ぶ顔が見たかっただろうに。
悲しませるかな。
それともわがままだときつく怒られるかな。
両親の悲しむ顔を見るくらいならいっそ叱ってくれたほうがましだと思っていると、しばらく黙って何かを考えているようだった母が「分かった」と言った。
「分かった。今からママが緑の方を買ってき来る。」
思いもよらない母の言葉に私はぽかんとなった。
ぽかんとしている間に母は恐るべき速さでもう一度車を飛ばし、本当に緑色のワンピースを買って帰ってきた。
いつもであればまず間違いなく優しいけど厳格なところがある父から強く叱られていただろう。
あの時何故父は私のわがままを許してくれたのか。
何故母は夕飯づくりを途中で止めてまで、再度車を走らせてくれたのか。
今となっても分からない。
ただただあの時私は本当に絶望していて、一方でこれは100%自分の落ち度であるということも理解していて。
悲しみに硬く縮こまった背中をそっと抱きしめられたような温かさ、痺れるようなその甘やかさ。
実家のアルバムには緑のワンピースで笑っている私の写真が何枚も残っている。
同じくらい青いワンピースで笑っている写真も多くある。
価格も質もいとこのお下がりにはとても敵わない廉価品。だけどこれは私だけのワンピース。
ああ、あの時私は父と母にめいっぱい甘やかしてもらったのだと、その写真を見るたびに思い出す。
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