複雑性PTSDと悪夢
学生時代(10代)にメンタル疾患にかかり、数年前に、「複雑性PTSD」の診断を受けました。
長いこと、メンタルの不調に苦しんできましたが、少しずつ、快方に向かっています。
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今日は、わたしが過去に苦しんだ「悪夢」について、お話したいと思います。
小学生の頃から、「生きているのがしんどい」という状況だったわたし。
毎晩、泣いていたし、中学生にもなるとストレス性のじんましんや、摂食障害に苦しみました。
当時は、「抑うつ状態」という診断でしたが、すでにその頃には、フラッシュバックの症状が出ていたように思います。
高校の頃から、「悪夢」を見るようになりました。
崖に立っているわたしを、母が突き飛ばして落下する夢。
生きたまま、棺桶に入れられ、閉じ込められる夢。
助けを求めても、声は出ず、苦しい。
夢で「助けて」と声を絞り出そうとして、自分の悲鳴で目を覚ます。
こんな状態が、高校生の頃から20代後半まで続きました。
最近、こういった悪夢を見る機会が、激減しました。
ときどき、寝るときに寒すぎたり、暑すぎたりすると、悪夢を見るのですが、昔のような深刻性はありません。
悪夢を見るのは当たり前だと思っていたのですが、夫や友人に聞いても、わたしのような夢を頻繁に見ることは、ないそうです。
今さらですが、あの悪夢は「心の闇」を表していたと思うのです。
「悪夢が減ってきた」というのは、少しずつ、わたしも快方に向かっているということ。
そう捉えています。
それに、悪夢が減るのとともに、現実世界でも、生きるのが楽になっているんです。
フラッシュバックに苦しんだり、うっかり自己犠牲の行動を起こして疲れ果ててしまったり……、というのは、まだあります。
でも、フラッシュバックとの付き合い方もうまくなりました。
自分を犠牲にしそうになっているときも、ハッと気づくことができるようになりました。
「あ、いま自分は無理しそうになっているな」と。
それで、その気持ちを伝えることもできるようになってきました。
「その気持ちを無視するような人とは、付き合わない」という選択もできるように。
こういった改善が、悪夢の頻度を減らすことにつながっているのだと思います。
社会や両親への恨み、つらみは少しずつ和らぎ、その代わりに、「世の中には心あたたかい人もいる」という考え方に変わりつつあります。
当時は、「死にたい」と思うばかりで、でも、死ぬ勇気もなく、
「何をしていても、自分はダメだな」
と思っていました。
でも、今はその気持ちも薄れ、「幸せだな」と思うことのほうが多いです。
どうか、いま苦しくても、希望を捨てないでほしいなと思います。
回復の余地があるなら、「きっといいことがある」と信じてみてほしいんです。
渦中にいるとき、わたしも、「きっといいことがある」という言葉をお守りにしていました。
今も、フラッシュバックしたときは、「きっといいことがある」と念じています。
思うようにならないことばかりかもしれませんが、一緒に前へ進んでいけたらうれしいです。
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最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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