「「「人生二毛作」のすすめ/外山滋比古」読書記録Ⅰ」2023/08/22
189「知識は若いうちには価値があっても、後半生の人間にはむしろしがらみである。その変わりではなく、とにかく考える人間になりたいと考えた。」
当時どれほど自分にとって大切で価値のあるものだったとしても
賞味期限が切れてしまうことがあることを忘れずにいたい。
頑なにならないこと。
整理を。点検を。お掃除を。棚卸を。
いつだって風通しのいい軽やかな、余白を持てる、そんな自分でいらたらいいな。
自分の有する物の整理について考える中で蘇ってきた過去の文章
過去の自分の言葉にときめく。励まされる。
「死についての捉え方」
・宗教も死への恐怖から人々を救うためにできたものと考えられたとしたら、この粋に達したら宗教不要になるのか?外山滋比古さんは宗教をどのように思考しているのか。
・167「死はでれにでも平等に訪れる、その死を、なにも人類を代表するような顔をして考えたって仕様がないじゃないか、そう思おうのです。
死はたいへん悲しむべきものであると知るようになります。情緒的な感情というより、一種のモラルです。ならばいま、我が身の死にも、周りの人間の死にも、あまり思いを致すことのない自分はモラルが希薄ということになるかもしれません。
そもそも、人は、死そのものが怖ろしいのではない、死という概念に怖がっているのです。死は人生最後の一つの事実でしかない。生きている間に、死のイメージを想い描くのは健康ではありません。」
「ヨガ/東洋医学」
176「西洋医学は肉体と精神を分離し、もっぱら肉体の面から病と対峙してきました。
西洋医学に追随した日本も、肉体ン治療にばかり目を向けてきました。病にかかった人間の精神やこころの状態については、ずっと蔑ろにしてきたのです。
そのような医学的価値観は、病を見て人を診ない医療というものを発達させた。」