伍々野ひかり
誰かの記憶が行く着く場所があったらいい。 カーテンの隙間から漏れる朝の光とか 通りの車の流れがなぜか心地良く感じてしまった日の事とか 正午の誰もいない電車の事とか 面倒くさくてうまくいかないけどあとから笑えるような事とか いつかは忘れて、もっとずっと先では消えてしまうかもしれないけれど そんな記憶が暖かな光の中で残り続けてくれたらいい。 ぽんずさんの素敵なお写真をお借りしました。
すぐそこにある光を掴めないでいる 足元ばかりを見つめては 気付いた時には遅かったり でも噛み締めるのは寂しいから 見ないふりしてた 思い出すくらいがちょうど良いかな 影を見て暖かさを感じるみたいに このままで、自然のままで
美しさと恐ろしさはどうやらとても近いところにあるみたいだった。
怖いもの 誰かと初めて出会うとき、これから起こりうる未来が消えてしまうこと。
ついこの間まで道沿いに咲いていた桜も、 気づいた時には忙しい日々に切り取られたみたいに まばらな桃色に変わっていた。 時間をかけてやってきた理想の日々は、 やはり過去の記憶の引き立て役となってしまったし 私の心は電池の切れかけた振り子の時計みたいに だんだんと振れ幅を失っていた。 今私の中の桜は満開に咲いている。 なーさんの素敵な写真をお借りしました。
本当の春、春がやってきた 空の色や、いつかの公園や、よく聴いた曲や、思いがけない連絡や、そんなものが、 今までの憂いを嘲笑うように降りかかってきた そんな状況を嬉しく思ってしまう自分が少し嫌だった 勝手に作ってきた物語がまるであらすじだけで終わってしまうような そんな気がしていた 桜が咲き誇れば、その下で落ちてくる花びらを拾い その花びらを押した栞は次の春を待ち遠しくさせる 都合の良い自分に少し困惑するけれど それもまた良い気がした 次の春がやってきたら
暗くなり始めた空に 星が透けていた 子供の頃は空なんて見上げなかったのにね なぜか目に焼き付けたくなるのは きっとあなたを忘れないため もう寂しくなんてないのに 何度も繰り返した季節を捲り しおりを挟んではなくして 思い出したら そっと笑うだけ 山吹さんの素敵なお写真をお借りしました。
不言実行が私の価値観である以上、日常の世界での私にはできない宣言をこの場を借りてさせて欲しい。 正直なところ、近頃は自分も目標も見失ってしまうことが多いのだ。現実逃避というやつだ。 自分に踏ん張りを効かせたと思った次の日には、もう溶けて生暖かくなってしまうのだからなんと意志の弱いことだろう。 しかし、これは少しでもそんな自分に抗うための宣言、しるしだ。 この頃の私に足りていなかったのは何か。 感謝だ。圧倒的に感謝が足りない。感謝がないから1日を無駄にする。期待を踏み
ビー玉ってなんだか好きだ。 それは、純粋さの象徴だ。 例えばラムネの中にある色のない透明のビー玉の中には 朝、起きた時の眠気の消えた目に入り込む白んだ光のような 緑色のビー玉の中には 電車の中から遠目に見える雑草やたんぽぽの集まりのような オレンジ色のビー玉の中には 好きなおもちゃを買ってもらったときに車の中から見える沈んでいく日のような そして、水色のビー玉には 来た夏の雲ひとつない空のような そんな濁りのない風景がビー玉の中にある。 この夏は、この小
目を閉じて、暗くなった瞼の裏に映るのは あなたと行けなかった異国の夜の街 街頭とショーウィンドウに仄かに照らされて 降り始めの雪を見上げるその瞳は きっと私にとけない魔法をかけてしまう。 そして、繋いだ手は私の体温も心も奪っていってしまうのでしょう。 覚えのない、忘れられない記憶は今夜も 私を夢の中には、行かせてくれない。 ジョーさんの素敵なお写真をお借りしました。
いつか私も揺らいだ綿毛のように 静かに心は根を張って きっとどこかで芽吹くでしょう 止まない雨と それに耐える傘はなくても 巡ってこない春はどこにもないから
昨日はお出かけ中、自転車がパンクしてしまいました。家に着く時間が40分遠のいたけど、ゆっくり自転車を押しながら流れる好きな音楽と曇り空に沈む夕日はなんだか綺麗でした。
美しさとは 小さな頃に見た混じり気のない陽の光と心の中のことだろうか 照らされた一枚の葉が露をこぼす瞬間だろうか 夜の窓から見える無数の橙色のことだろうか あるいは、架空の世界に没頭したあの日のことだろうか あるいは、過ぎ去ってしまったものを思い返したときの心の有り様のことか あるいは、ただ一途にロックに心を捧げるアマチュアバンドの姿だろうか 毎日違っている空か、錆びた鉄柱か 走った後の鼓動の高鳴りだろうか あの人が笑った瞬間だろうか もっともっと、美しさ
君の残した言葉の意味は解らないまま 繋げなかった左手を握りしめていた 君の残さなかった嫌いだって言葉を 聞けてたら今頃は幸せだっただろうか。 ありんこさんの素敵なお写真お借りしました。
目の前にふと迫る雲。ただ、空はこれまでかというほどに、その青さを際立てていた。 徒桜なんて言葉を知ったあの季節とは違って、風は体温のような暖かさを忘れ、花びらも舞わせることはなく、潤いを帯びはじめた。 そして、青さなんてなかったかのように、夕方ごろにはその我慢の効かなくなった潤いが、風を置き去りにして、ぶつかり、音を立てる。 巡り巡っているはずなのに、この煩さと鬱陶しさは同じようにやってきている。今年もだ。 稲妻には趣がない。 近頃は筆も進まない。 今も、私の中で
ちょうど空が暗くなってきた頃、アスファルトが空に同調したように、濃い色に滲み始めた。 錯綜した感情の中にも、じわじわとその冷たさは行き渡る。 それは心地よさで、同じように寂しさであった。 きっとこの束の間が終われば、またあの夏に飲み込まれてしまうのだろう。 思わせぶりな夏は、ゆっくりと見せかけて、すぐそこまで近づいている。