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オリジナル盆踊り『杉だヨ!ええとこ音頭』が厚生労働省主催 私のまちの『通いの場』自慢コンテスト 優秀賞を受賞!
この度、兵庫県神崎郡神河町の杉区にある地域住民によるボランティア団体、杉区 ふれあいサロンが、厚生労働省主催 私のまちの『通いの場』自慢コンテストにて優秀賞を受賞しました!
杉区ふれあいサロンは月に3回、地域住民14名が中心となって、体操や喫茶会、ゲームといった『通いの場』を開催している他、シニアダンスチーム「チアBAABA(バーバ)」とその旦那衆「+Ji(プラスジィ)」によるダンスや歌の発表
京極朋彦(ダンサー・振付家)自己紹介その1
1 ご挨拶
はじめまして。
京極朋彦(キョウゴク トモヒコ)と申します。よく聞かれますが、本名です。
私は東京で生まれ育ち、京都の大学でダンスに出会い、卒業後 ダンサー・振付家として、舞台を中心に国内外で活動し、今まで6か国で様々な国のダンサー達と共に、自身の振付作品を発表してきました。
コチラに2020年に撮影した私のダンス作品と、ロングインタビューの映像がアップされていますので、お時間ある方
地方移住4年目 ダンサー夫婦の “カタチのない生活” パート10(最終回)
<“カタチ”がもたらした“カタチ”のない生活>ここまで、10回にわたり、3年間の私達ダンサー夫婦の地方移住生活を振り返ってきた。
ここに書き切れなかったことも沢山あるが、ここに書いたこと、一つ一つが、今の私たちの生活を“カタチ”作っている。
そもそも、私たちの生活は常に“カタチ”を作っては壊し、立て直しては崩し、またやり直す、その繰り返しの中にある。私は田舎に移住して改めてそのことを、身をもって体
「踊れない」ダンサーと「できない」子供たち パート9(最終回) ~コンテンポラリーダンスと発達障がいの狭間で~
<「踊れない」ダンサーと「できない」子供たち>今まで私は「踊れない」ダンサーでありながら、ダンスで、振り付けで、人々の想像力を掻き立てる仕事をしてきた。
それはいつも“目に見えないもの”を扱う仕事だった。
どうしてそれが10年も続けられてきたのか?
それはいつも私が様々なモノやヒトの間にある“目に見えないもの”と戦ってきたからだ。
コンテンポラリーダンスと「普通」のダンスの狭間で苦しみ、「普通
地方移住4年目 ダンサー夫婦の “カタチのない生活” パート9
< 京極WORKS 誕生>奥さんの“体操キー”と私の“アーティストキー”、2つの“ダブルキー”で挑んだ神河町での生活は、三年目を迎えて、少しずつ実を結び始めた。
ところがこの三年目に、大きな変化が私たちを襲う。
コロナウィルス感染症の感染拡大である。
高齢者、子供達を相手にする私達の活動は、一気に休止に追い込まれた。
三年目の集大成として準備していた活動も中止せざるを得ない状況に追い込まれた。
「踊れない」ダンサーと「できない」子供たち パート8~コンテンポラリーダンスと発達障がいの狭間で~
<コロナ以降の「普通」とは何か?>過去や現代、自己や他者の間を巡り「普通」とは何か?を探る旅をしてきたこの文章も、いよいよ終盤に入る。
「普通」とは何か?私達に「普通」を強いるものは何か?今までのこの連載の中で、どうやら「普通」とは、自己と他者の間、あるいは自分と自分自身との間にあるらしいという事が分かってきた。
つまり「普通」は固定化されたものではなく、人と人との間で、あるいは自分自身の中でさ
地方移住4年目 ダンサー夫婦の “カタチのない生活” パート8
<二つの“キー”が溶け合う時>奥さんはアーティストとしてのプライドを捨てる覚悟で地域に入っていった。
私はプライドを賭けて外を駆け回った。
それぞれが失いながらも、共に走り続けてきたことで、いつの間にか、互いの失ったものを、互いが補い始めたのである。それはまるで、二つの“キー”が私達の意図しないところで溶け合うような瞬間だった。
「踊れない」ダンサーと「できない」子供たち パート7 ~コンテンポラリーダンスと発達障がいの狭間で~
この文章では今まで、私が出会ったダンスや、私が経験した海外での出来事、そして私自身の過去といった、私自身の話、心の中の話を中心に「普通」とは何か?を考えてきた。
今回はもう少し視野を広げて、世の中の事に目を向けてみようと思う。
世界は私たち自身を写しだす鏡だという。
ならばその鏡をのぞき込めば、また違った角度から、私達にとっての「普通」というものが見えてくるかもしれない。私達は、この世界という鏡
地方移住4年目 ダンサー夫婦の “カタチのない生活” パート7
<二つの“キー”がもたらしたもの>夫婦で設定した二つの“キー”がその効果を発揮し始めたのは移住して1年が経ったあたりからだろうか。
具体的には奥さんは、かみかわハート体操のPVに幼稚園の園児を登場させたいというアイデアから、地元の幼稚園の園長先生と出会った。
さらに地域の健康福祉体操を通じて、地元の元校長先生と出会って交流を深めていった。
「踊れない」ダンサーと「できない」子供たち パート6 ~コンテンポラリーダンスと発達障がいの狭間で~
<イメージの処方箋>私は人に最初よく、こう言われる。「できそう」「上手そう」と。
そして最後にこう言われる。「できると思ってた」と。
幼くして「できない」を認めないと誓い、「できるフリ」だけがうまくなってしまった。
「できるフリ」で武装された私の「できない」は、発達障がいが“見えにくい”障がいであるのと同じように、人からはかなり“見えにくい”。
大人になるまで「できない」をこじらせてきた私の「で
「踊れない」ダンサーと「できない」子供たち パート5 ~コンテンポラリーダンスと発達障がいの狭間で~
<「普通」に「できない」子供達>前章の終わりで私は、“「発達障がい児」と呼ばれる子供達との出会いは、まさに自分自身との出会いだった”と書いたが、言い換えればそれは、子供達が「できない」ことと、私自身が「できない」ことが、とても良く似ていたという事だった。
更に言えば、彼ら、彼女らが抱えていた「できなさ」は、私自身が抱えてきた「生きにくさ」と、どこかで通じているような気がしたのだ。
だからこそ私は
コンテンポラリーダンスって何なんですか? パート4(最終回)~コンテンポラリーダンサーが考える、コンテンポラリーダンス“再”入門~
<コンテンポラリーダンスという装置>私たちは目に見えない、モノを怖がり、排除しようとする。
目に見えない、よくわからないコロナウィルスが、私達に恐怖をもたらし、人々を分断したように。
私達もまた、目に見えない差別と、弾圧で、よくわからないモノを退けてきた。
私たちが、よくわからないモノを「よくわからないモノ」として見るとき、向こうも私たちを、同じ目線で見返している。
「グレーゾーン」の子供達 ~発達障がい児とダンサーの交流から見えた世界~(パート3最終回)
<発達障がい児の視点から考える現代社会>発達障がいの原因は未だに解明されていない。
ただ、今後その原因やメカニズムが解明され、どんなに効果的な薬や、科学的根拠のある治療法が開発されようとも、「発達障がい児」と呼ばれる子供達にとって、絶対に必要なものがある。
それは、彼ら、彼女らの孤独に寄り添ってくれる「絶対にあきらめない人」の存在だ。
極端な話、例えそれが「親」でなくたって、「大人」でなくたって構
コンテンポラリーダンスって何なんですか? パート3 ~コンテンポラリーダンサーが考える、コンテンポラリーダンス“再”入門~
<コンテンポラリーダンスを“置き換える”>コンテンポラリーダンス、コンテンポラリーダンスと、ここまで連呼し続けてきたが、そろそろ皆さんも、このつかみどころの無い言葉に、飽き飽きして来た頃だろうか。
今回は、そんな皆さんにとって、もっと身近なところに話を戻そうと思う。
ここからは今まで連呼してきたコンテンポラリーダンス、あるいはダンスという言葉を、私たちの「生活」という言葉に置き換えて考えてみたい。