1-4 目標をいかに立てるか(こころをつかむ診療術)
1-4 目標をいかに立てるか
このNoteの目的などは下記リンク"はじめに"を参照してください。
今回は、心理や感情に焦点を当てた診療に関する「こころをつかむ診療術」の第4回。臨床現場において、どのように治療や行動の目標を立て、いかにそれを達成するかについて考察します。
1) 慢性疾患の主体は患者にある
まずは、前提として、疾患の主体というものについて確認したい。
肺炎のような急性疾患を思い浮かべてみる。肺炎が治るか否かは、どのような抗菌薬を選ぶか、どのような治療期間にするか、酸素投与や全身管理に左右される。それを決めるのは、医療者である。どの種類の抗菌薬がいいですか?と聞くことはないだろう。
一方で、私が相手にしているような肥満、糖尿病、高血圧、脂質異常症などの治療では、主体は患者側にある。薬物療法の選択にはある程度医療者の判断も重要だが、柱となる食事療法・運動療法を行うのは患者自身である。
この主体性の違いは、同時に医療者の意識を散漫にする。それゆえ、いまだに多くの医師が、主体側の患者が食事・運動療法を守れないと、患者の自己責任であり、やむを得ないことだとしているように感じられる。一度、「食事に注意しなさい」「運動しなさい」という一言の指導のみを行い、思考停止となる。私は、そんな風潮に異を唱えたい。主体は確かに患者側である。しかし、医療者側の言葉の選び方、声のかけ方によって、行動は大きく変わりうると信じている。今回は、医療者側がどのような選択ができるのかを考察したい。
2) 食事療法の実践は実現可能か?
食事療法を例に、どのような行動・治療が患者に求められているのかを見てみたい。糖尿専門医研修ガイドブック(第8版)を眺めると、28ページにわたり、食事療法について詳述されている。年齢や身体活動レベルの情報や、目標体重設定から、食事の総摂取カロリーを計算する。栄養素の摂取比率は健常人などを参考に、炭水化物50-60%、タンパク質20%以下、残りを脂質として設定する。食物繊維は20g/日以上を目標とする。教科書にはこのようなことが書いてある。しかし、目の前の患者が、自分で料理はほとんどせず、牛丼チェーンなどの外食がほとんどの独身男性だったとすると、どうだろうか?こういう食事療法を説明した後、「はい、分かりました。」と言って、明日から実践してくれるだろうか?難しいだろう。実際に、教科書に載るような健康的な生活をを毎日過ごせる現代人は多くない。同時に、専門医研修ガイドブックには"柔軟な対応"、"個別化した対応"、"医学的な齟齬のない範囲で、食を楽しむこと"などの重要性も記載されている。完璧な食事療法は難しいにしても、そのような個別化・柔軟な対応が具体的にどのようなものであると考え、どのようなことを実践しているかをここでは論じる。
3) 力を分散させない
外来診療で血糖コントロールが悪くなっている患者と話していると、「今度は食事とかに気をつけます」と言われることがある。「そうですね。」で、終わらせず、「どういうところに気をつけますか?」と掘り下げてみる。すると、「薄味にしたり、お菓子を食べないように気をつけたり、野菜を増やして、あと散歩もしたいと思います」などと返ってくることがある。個人的な経験で言うと、このような場合、生活習慣に大きな変化が得られることは少ない。味付けは塩分などがメインで、血圧に影響は強いが、血糖値に直接的には大きな影響は与えない。お菓子を減らすことはよくするだろう。野菜を増やして相対的に炭水化物などが減ることで血糖値は良くなるが、野菜を増やすだけでは血糖値は下がらない。ビタミンや食物繊維の摂取という意味では、意味のないことではない。一個一個の要素は間違いとは言えない。問題は何か?どこに力を入れるかがはっきりしていないのである。がむしゃらに頑張っても結果は必ずしもついてこない。むしろ患者の疲弊を招き、長期的に続けるのが難しくなるのである。
「血糖値を良くする」ということを短期的な目標に据えた時、図1の左側のように、色々頑張っていても方向性がぶれていると、多大な努力をやっても結果がついてこないようにする。やるべきことは、図1の右側のように、目標にまっしぐらに努力のベクトルが向くようにすることである。
4) 医療者の役割
このような構図で考えると、目標を達成するために医療者が行うべき役割も見えてくる。医学的見地に基づいて、病歴や生活歴の聴取から、何が一番血糖値を高くしているか、最も寄与度の高い因子を見つけ出すことである。
血糖値が高くなりはじめたタイミングで何があったかを聞いてみることで、どこに重点を置くべきか見極めることができる。
問診で大事だと思われたこと → 重点を置くべきこと
「ソフトドリンクを飲むようになった」→「ソフトドリンクをやめてみる」
「寒くて運動量が減った」→「家の中でできる運動を探してみる」
「薬の飲み忘れが増えた」→「薬を忘れにくいタイミングにずらす」
「原因がはっきりしない」→「1型糖尿病や膵性など疾患としての要因がないか検索」
などと言ったように、問診により、血糖値に最も悪影響を及ぼしているものが決まると、それへの対応が見えてくる。
注意したいのは、患者を頑張らせすぎてもいけない。例えば、現代人の大半は運動不足だし、完璧な食事療法をできる人はほとんどいない。大事なのは、その患者自身で何が一番重要かを見つけることである。「運動不足です」と患者が言ったとしても、それが血糖コントロール増悪の要因ではないことも多い。血糖コントロール増悪のタイミングと一致して、運動しなくなったとかであれば疑わしい。これを食べるようになってから血糖値が上がったというのであれば、原因として疑わしい。因果関係があるのかというところまで意識すべきである。
5) 実現可能性を考える
上のように、自分で料理をほとんどせず、外食店ばかりでしか食べない人が、明日から急に理想的な食事療法を行うというのは、現実的ではない。いきなり急な要求をしても長続きしない。むしろ、不可能なものを突きつけても、ドロップアウトするだけである。大きな目標を立てる前に、一段一段、実現可能な目標を一緒に考えることである。図2の、右側からのぼるのと、左側から一段ずつのぼる、どちらのルートを患者に提示するかということである。
上の例のような人であれば、いきなり病院食のような食事を見せるのではない。一段目は「大盛りで注文するのをやめてみましょう」「ラーメンとチャーハンのセットではなく、ラーメンだけにしましょう」という段階である。段階が進めば、二段目、三段目に「野菜を必ずつけましょう」「魚の定食にしましょう」などでも良いと思う。どうだろうか?ぐっとハードルが下がった感じはしないだろうか。食事療法の理想的な形を伝えていても悪くはないが、いきなりそこを目標に据えているようでは、達成も難しく、自信を失うだけである。
そこの目標はそれぞれの患者の位置で相談しても良いと思う。すでに散歩している人であれば、「応用編で、早歩きも混ぜてみましょう」などである。
そして、目標を立ててみたら、それを患者さんと相談し、「これならできそうですか?」と尋ねる。その上で、紙に書いて明確な目標として渡す。カルテにも書いておき、次の外来でどれくらい達成できたかを聞いていく。
うまくいって、結果もついてきていれば、それを一緒に喜び、次の目標を立てる。
うまくいかなければ、難しかった理由を考え、目標を立て直す。もしくは再チャレンジする。それか、自分の考えていた血糖コントロール増悪の原因が間違えていたのではないかと再度考察し、別の重点部分を探す。
6) まとめ
患者が主体的に動く必要のある食事療法、運動療法では、単純に「食事・運動に気をつけなさい」と言っても効果は薄い。どのような生活習慣が、病状に最も寄与しているかを考察し、そこに重点を置くべきである。いきなり大きな目標を立てるのではなく、目の前の患者が実現可能な目標を段階的に立て、少しずつ進めるのが有効な場合がある。
医療者の多くが意識していないようにも思えるが、食事療法というのは栄養指導のオーダーを立てて、栄養士に丸投げするようなものではない。病歴聴取、検査結果から総合的に判断し、力を入れる部分への考察が求められる。このような方法は医療者としての引き出しを増やすことにつながり得る。また、患者に一方的に押し付けるわけではなく、一緒に目標を立てるというプロセスは、信頼関係を築くことにもつながることが期待できる。
さらに、このような目標の達成の仕方は、治療のみならず、人生における目標をいかに達成するかという点にも通じる。頑張らなくていいところではリラックスし、頑張るべきところで頑張り、目標を達成するという構図は、人生の幸福にもつながるのではないかと思う。