見出し画像

親父

語りエッセイなので音楽でも流しながら
読んで頂ければ幸いです。

俺は住んでいるところは23区で
実家は東京の郊外にある
帰るにしても車で1時間はかかる

母親の元には大好きなお祖母ちゃんがいて
仕事は夜中に繁華街に行くこともある
どこでいつなにを貰っているか分からない
だから去年は帰省する事はなかった。

だけどもしたいことはある
それは親父の墓参り。

親父と俺は昔から馬が合わなかった
だが、友達のお父さんの葬式に
白いネクタイで現れた親父の間抜けさは
好きだったりする。

俺からすると凄い人で
40半ばの時の親父は突然無職になり
2年間遊ぶといって家にあまり
お金をいれることなく遊び呆けた。

だけど2年後に突如
テレビCMを打つような会社に入社して
あっという間にその会社の代表取締役になり
地元の市の長者番付に名前を連ねた。

人当たりのいいオヤジだけど
なぜか畏怖して近寄り難かった。
従弟の子が夜、親父のズボンをずり降ろし
ハンケツになっている親父が嬉しそうで
そんな親父を見たことが無いから
なんだか少年時代に嫉妬した。

とにかく俺と親父に距離があり
親父と息子が乾杯する話を
読むと涙無くして読めない記事も多い。
羨ましいのかな?

俺はWEB会社で働いていて
そこそこ営業の成績もよくて
この頃親父はそのCMを打つ会社をやめて
所有した不動産を管理する会社を起こしていて
そこで一緒にやろうという話になった

けど・・・
少しずつ利益をだして
1人ずつ人材を増やしたい
そんな思いで少しずつ農地を広げる
家康タイプだったけど。

親父は人海戦術を主として
掛け算に掛け算をする信長タイプで
亀裂は深まっていった。

飛躍に常に反対する
そんな俺により歯痒い思いだったのかな
親父の言うままにどんどん
採用してその管理職になるけど
30前の青二才。人を動かす術も知らず
上手くコントロールもできず
人件費でみるみる赤字になっていく

運が悪いことに
親父が昔、務めていた会社が
その時もらった役員達の報酬が大きすぎて
役員全員一部返金を求められると同時に
享楽も過ぎて親父は追い詰められていた。

当たり先はいつも俺で
俺が採用した人材達の前で
怒鳴られ馬鹿にされる日々
この時は親父の状況など知らないから
ただただ憎しみしかなかった。

もともと人当たりはいいけど
家族をネタにして笑いを取るタイプ
そういう人っているでしょう?

自己肯定感が低くなり
鬱に近い状態になって
処方された睡眠薬を多用して
いよいよ躁鬱状態かな
逃げるように親父の元を飛び出した。

今まで反抗期なんてなかったのに
30歳前後にそれが突如起きた。

親は何年か前に離婚していて
親父の元を飛び出して
そこからも色々あったけど
ある日、妹から連絡が来た。

「お父さんが死んじゃった」

病死だけど勘当状態にあったから
全く知らなかったし罵られ続けたから

「あーそうなんだ」
渇いた感情1つで哀しみは無かった
妹はお父さん子で親父の望みを
何でもかなえてあげたい

親父の実家の下関で
葬式をするとかいいだして
ふざけるなって思った。
ここは東京だ
霊柩車で下関まで運ぶの?

さらに無職に近い俺は
金も無いのに下関までいけるか
葬式にはでないよと母親に伝える

親父に散々苦労した母親だから
同意してくれると思ったら
「お前は冷たい人間だ」と泣かれた
人としての在り方を散々説かれて
しぶしぶだったけど下関まで行った。

妹に再会すれば
不意に妹から伝えられた

「お父さんはいつもお兄ちゃんの写真を
 大事にポケットにいれていたんだよ」

それは少年時代のサッカーのユニフォームで
嬉しそうにボールを持っている俺の姿だった

不意に哀しさが混み上げて
ボロボロ泣いてしまった

「ずりーな」

そんな間抜けな感覚は今も覚えている
結局その後、色々あって
母親の所有する墓に入ることになった。
親父よ、母は偉大だよ。

自己肯定感の低い人の話を読んでさ
俺もこの時、自己肯定感は低かった。
世界で一番無能だと思った日々

だけど下関に行ったときに
ついでにご先祖様の墓を参った。
その時なんとなくだけど
自己肯定が低いことを申し訳なく思った。

そうだよな。
過去から繋がれた愛のDNAだものな
なんか自分が少し好きになれた。

墓参りは死者のためのものではない
生者が死者と対面して前を向くための行為
そう思えたんだよね

去年こっそり年の瀬に墓参りにいった。
実家まではそこから10分の距離だけど
実家には伝えなかった。

伝えたら可愛い息子に
会いたいに決まっているからね
無駄な哀しみを与えたくない
何よりもし感染していたら嫌だ
俺は欲が深い。

生きる事は苦しくとも
皆長生きしていてほしいんだ。

親父の墓に缶コーヒーと
趣味でもない花を添えて

親父が晩年聴いてた曲「千の風になって」
をスマホで流してやった

「どうせここにはいないんだろう(笑)
 その方が親父らしいな」

親父はここにいなくても
俺の心の中にはいる。

親父の墓参りはいつも謝罪から始まる
「あの時、親父の状況知らずにごめんな」

それともうひとつ、親父が亡くなって
いよいよ出棺して火葬場で骨になるとき
最後のお別れのあいさつを求められ
マイク片手に話し始めようとしたタイミング

切り忘れていた携帯がなった。
その時の着メロは
ミッションインポッシブルだった。

あまりの罰の悪さにテンパったけど
鳴ってしまったものは仕方ないし
マイクを握りしめているから

「あと親父に残されているのは
 骨になるというミッションだけですが」

とスピーチをはじめたら
不意に哀しみの場が爆笑に変った。

もともとは陽気な親父だ
この不謹慎は笑ってくれている

それは確信なんだ。
俺はあなたの大切な息子だからな
生きている間に乾杯したかったなぁ
今だったら親父と五分で話せるかなぁ

なぁ親父よいい歳した今でも
親父に褒められて喜んでいる
俺が夢にでるんだぜ
たまにだけどなぁ・・・・

新しい企画を始めます
良かったら参加してください。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集