働かなくちゃ!!の理由とは。魚座上弦の月に乗せて
今朝、久しぶりに母に怒鳴られた。
いつになったら働き先見つけるつもり!!?
早く、家出て行くか、お金入れるか、しなさいよ!!!
久しぶり、と言っても、1ヶ月半ぶりくらい?
でも1年位前までは週に2~3回こんな風に怒鳴られていたことを考えると、だいぶ「久しぶり」な気がする。
外で働くことを辞めて数年。
自分で仕事を始めて稼げるようになろう!と頑張ってみたものの、なかなか形にならず成果が出ず、収入もなく、貯金が僅かになり、家への生活費を滞納し始め約半年。という現在。
久しぶりに母から怒鳴られて、分かったことがある。
(分かったというか、はっきりと顕在意識で認識した。という感じかな)
過去の私がずっと『働かなきゃ!!』と思っていたのは、
『母の為』だった。
『母に依るもの』だった。
ちゃんと働かないと、
お母さんから怒られる!!
溜め息を吐かれる!!
怒鳴られる!!
怖い顔をされる!!
呆れられる!!
見放される!!
どうでもいいヤツと思われる!!
お母さんに、嫌われる!!
お母さんに、認めてもらえない!!
お母さんの子として認めてもらえない!!
だから、ちゃんと働かなきゃ!!頑張って働かなきゃ!!
そんなかんじ。
「自慢の子」として思ってもらえない!!
「可愛い娘」だと思ってもらえない!!
というのも、オマケとしてあったかもしれない。
どうせだったら「好かれたい」からね。
◆
私たちは、生まれてしばらくは一人じゃ何もできない。
食べ物や飲み物の調達。
着るもの・室温の調節。
排泄の処理。
そういうあらゆることが人の手を借りないとできないし覚えられない。
「面倒を見てくれる人」に「命を預けている」ようなもの。
だから「気に入られよう」とする。
少しでも安全なように。
少しでも安心なように。
少しでも快適なように。
無意識に、いちばん身近で世話をしてくれた人の『価値観』や『望み』や『趣味嗜好』に染まってしまうのだ。
『稼がなきゃ!!』も、そう。
早く、たくさん、稼いで、
母のことを、
納得させてやる!!
見返してやる!!
証明してやる!!
私の方が、私の生き方が、正しかったんだ!って
テメエの教えが間違ってたんだ!って
証明してやる!!!
そして、私に散々、怒鳴り続けてきたことを
私の選択や在り方を否定し続けてきたことを
後悔させてやる!!!
ひれ伏して謝ればいい!!
そんな風に思っていたこともある。
と同時に、相反するように、
早く、たくさん、稼いで、『証明』したい!
お母さんを納得させたい!安心させたい!という思いもあった。
お母さんが言うように、
やりたくもない仕事や合わない職場であくせくと心身を擦り減らして働かなくても、
好きなように好きなことをしたって、
ちゃんと稼げるんだよ♡
それで充分、幸せになれるんだよ♡
そう気付いて、
『安心』してもらいたかった。
そう。
『安心させたかった』のだ。
◆
けど、今日、分かった。
もう、それ、ぜんぶ要らない。
それはすべて、私の本当の望み・本当に欲しいものではなかったから。
働かなきゃ!! 稼がなきゃ!!
認めてもらいたい!!証明してやる!!は、勿論だけど、
「母を安心させたい」という思いも。
そりゃあ、結果的に、母にも安心してもらえたら嬉しいけれど、でもそれは単なるオマケ(結果)で、
母が『安心』するかどうか、は、母が決めることだ。
私には、「母の安心」や「母の幸せ」は決められない。
私は母に「母の安心」や「母の幸せ」は与えられない。
母の考えや気持ちは、変えられない。
私に変えることができるのは、私自身のことだけ。
そのことが、ようやくちゃんと分かったから、身を以て知ってきたから、
だから、「もう関係ない」と分かった。
母がどうあれ、私は私。
母が幸でも不幸でも、私は私。
母が何処にいても、何をしていても、私は私。
それと同じように、
私が何処にいても、母は母。
私が何をしていても、母は母。
私が何処に行っても、母は母。
私が遠く離れて行っても、
この家や、この土地を、離れて行っても、
母は母。
母は母で、生きていく。存在している。
それでいい。
◆
私は「三姉妹の長女」で、他に男兄弟はなく、父は長男。
私自身は、父や母やおばあちゃん達から、
「家を継げ」とか「婿を取れ」とか言われることなく育った。
それでも、どこか「この家の長女として縛られていた思い」がずっとあった。
妹が、転んで泣いたり、お椀をぶちまけたり、すると、
「何でちゃんと見てないの!!」と私が母から怒られたから。
母が何か用があって私たちを置いて外出しないといけないとき、
「よろしくね」と、妹の面倒含め、家の戸締りや安全のことを、私が頼まれる立場だったから。
父が2年程、出張で県外暮らしをしていた時(私は幼稚園~小学校1年生くらい)
お母のこと、◯◯(妹)のこと、頼んだよ。
ちゃんとお手伝いするんだよ。よく面倒みるんだよ。
そう言われていたから。
家を継ぐように言われていなくても
お婿さんをもらうように言われていなくても
わたしのなかにはずっと、
この家を離れられない思いが、
母を置いてはいけない思いが、どこかにきっとあった。
そのことに気付いて数年。
何度も何度も繰り返し「手放し」をして、
ようやく、フラットに「関係ない。」と思えている自分がいるなぁと気が付いた。今朝の怒鳴り声や怒鳴られた内容に、私の心は揺さぶられなかったから。
◆
ちょうど!と言うべきか、
昨夜は「魚座」で「上弦の月」だった。
サビアンシンボルは魚座9度『騎手』。
この度数は、私が11歳のときに迎えた『進行の新月』の度数でもあった。
(ちなみに、次の進行の新月は40歳だから、約30年に一度の節目。)
昨日、魚座9度で上弦の月が起こるということに気が付いて、
「経過図」と「進行図」という違いはあれど、
なんだか感慨深いものがあるなぁ~ と思っていたら、
翌朝(つまり今朝)こんな事象があった!という訳。笑
◆
『魚座』の表すものに『無条件の愛』があるけれど
私たちの「愛」は、たいていが「条件付きの愛」だ。
優しいから、好き。とか
お世話になったから、その御返し。とか
たいていの人が「条件付きの愛」で育てられている。
よほど人間の出来た、器のでかい、親や養育者でない限り。
○○したら、褒められて、
△△したら、怒られる。
○○したら、すごいね~!よかったね~!と喜んでもらえるけど、
○○しないと、こっちを向いてももらえない。
「親の基準」を「せかいの基準」だと思って生き始める。
「基準」を満たすことで、「愛」を獲得、あるいは表現しようとする。
でも、
ほんとうに求めているのは『無条件に愛される自分』。
生まれたての赤ん坊の頃に
何もしなくても「可愛いね~!」と言ってもらえた自分
何もしなくても、温かいミルクを与えてもらえた自分
生まれてくる前
暖かな子宮のなかで羊水に包まれてぷかぷかと浮かんでいるだけでよかった
へその緒を通じて栄養や酸素を送ってもらうことができた
そんな頃の『愛』をわたしたちは思い出したいんだ。
そんな『無条件で無償の愛』を、
思い出したくて、わたしたちは生きている。
また、そんな風に、
誰かから愛されたくて
そして、自分もまた、そんな風に
誰かを愛したくて
今日も生きている。
これからも、生きていく。
◇ ◇ ◇
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