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『勇気』


わたしたちは「このゲーム」を断つ『勇気』を持たなければならない。


繰り返すゲーム
不毛なやりとり
負の感情しか生み出さないぶつけ合い


手馴れた「ストローク」はもうやめて

ほんとうの愛に溢れた触れ合いがしたい



そう願うわたしに今日届いたメッセージは、、、



勇気|OSHO

最初のうちは、臆病な人と勇気のある人とのあいだに大きな違いはない。どちらも恐怖を抱いている。違いは、臆病な人は自分の恐怖に耳を傾け、それらに従うということだ。勇気のある人は、それらを脇におき、先に進む。

未知なるものの挑戦を受け入れることが、勇気だ。

生とは冒険だ。徐々に徐々に恐怖は消え、あなたは新しい冒険を探し求めつづける。

Osho, Come, Come, Yet Again Come, #4 より抜粋


あなたには、その『勇気』はありますか?

今までの自分の「パターン」を壊して
「未知」に飛び込む

勇気はありますか?



その先には

今までよりもっと素敵なものが
今までよりもっと確かなものが

必ずある。と 信じることの出来る

勇気はありますか?




もう一つ。


あなたは

「話し合う」ということができますか?

「伝え合う」ということができますか?


その前に、

自分の「伝えたい思い」がなにか解っていますか?

自分が「何」を伝えたいのか、理解してほしいのか、分かっていますか?


同時に、

相手の言葉を、相手の思いを「受け取ること」はできますか?

わたしの思いを、わたしの言葉を、

「受け取る」準備はできていますか?




「伝え合う」ということは、双方のやり取りだから

「話し合う」ということも

「想い合う」ということも

「愛し合う」ということも

お互いの「想い」の「行き来」だから



「伝える(言う)」という行為と
「受け取る(聴く)」という行為は


真逆のようで「イコール」なんだよ

この「往来」を、

あなたは繰り返すことができますか?

し続けることができますか?


わたしと一緒にし続けることができますか?


諦めることなく
投げ出すことなく


そんな途方もない未来に挑戦する『勇気』が

あなたにはありますか?







special thanks

すてきなnoteを「自分の言葉」と共にシェアして下さり
どうもありがとうございます♡

 

わたしが彼と別れることを決めたいちばんの理由は、「話し合う」ということができなくなってしまったからだった。

なんとなく分かったような会話をすることで関係が続いてきた部分もあるのだろう。

お互いがいちばん大事なところに触れないようにしながら、「表面上、仲の良いふたり」を必死に演じていたのかもしれない。

伝えた先で、お互いに理解し合えないことが怖かったから。


そんな臆病なわたしが「人と深く対話できるようになった」のは、いまの恋人に出会ってからだった。

人との関係性は、一回、一回の「伝え合い」の積み重ねでできているんだなあ

「伝え合う」って、ほんとうに体力の要る作業だ。

だけど、だからこそ、この大変な作業にふたりで向き合い続けることには、大きな意味があるんだなあと思う。

価値観がこんなに違っても、何度お互い傷つけ合っても、それでも変わらず一緒に生きていたいと思える人なんて、そう簡単には出会えない。

軌道修正できるのも次の「一回」だ。


一回の積み重ねが、未来のふたりをつくるなら。

諦めずに、怖がらずに、伝え続けたい。
何より、わたしも彼にそう思ってもらえるような存在でありたい。

その先にどんなふたりが待っているのか、今からとても楽しみにしている。





「自分の心の在り方を整えて
幸せなパートナーシップを築いていこう」というのは、

まずはそもそもパーフェクトではない
自分自身との関係を修復することで

パーフェクトではない相手との関係も良くし、

そして、恋人間(夫婦間)に生じ得る葛藤も問題も
2人で一緒に乗り越えていけるようになろう
ということです。




のだかおりさん
岡崎菜波さん
Mimiさん

ありがとうございました♡♡♡





▼補足
▼ゲーム、ストロークとは


交流分析は、
 精神分析の口語版・コミュニケーションの心理学とも言われます。


◇交流分析における「ストローク」とは、

「直接肌に触れること」
~触れる、撫でる、手を繋ぐ、抱きしめる、つねる、叩く、殴る、などだけでなく、

「言語メッセージ」
「非言語メッセージ」~表情・動作・態度・声の調子なども含みます。




人が生きていく為には、水や食べ物、空気のみならず、
このストローク(心の栄養・充足)が必要なのです。


それが例え、痛いもの(殴られる蹴られる攻撃される否定される)や、
相手を傷付ける行為(殴る蹴る否定する拒絶する)であっても、

無視されることよりはましであるため、
人は「マイナスのストローク」を繰り返してしまいます。
ゲームを「仕掛け」てしまうんです。


否定的で傷付け合うストロークであっても、

【自分の存在が認められている=自分が存在する。】

ということの「証」になるからです。




この「マイナスストローク」「ゲーム」は、
幼少期の自分が「生き抜く為に身に付けた術」であり「無意識の癖」となっている為、「意識して止めること」をしなければ、気付かずに延々と繰り返してしまいます。




肯定的なストローク』をきちんと受け取りましょう
そして、
「欲しくないストローク」は受け取らないことも大切です。




◇参考





Rioka
・国家資格キャリアコンサルタント
・上級心理カウンセラー






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*Rioka
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