
SNSの中の休憩所になりたい
今でこそSNSを使うようになりましたけれど、実は私は、情報発信をし始める2.3年前は、SNSなんて全く使ってなかったんです。
私が中学生のころLINEが広まり、高校生のころにはTwitterやInstagramが流行り出したんですけどね、私はそういったSNSを全くやっていなかったんです。
全く興味がなかったんですよね。
自分がどこに行ったとか、考えていることとかを、友人や同級生にわざわざ言う意味がよくわかんなかったんです。
そんな、恥ずかしいことしたくないし、言ったところで何になるんだろう?そう思っていました。(当時は他人に無関心な人間でした😂)
そうすると、友人にこんなことを言われました。
「他の人が行っているところを見て、行きたくなったり、話の種になるよ!」と。
当時私は、興味のあることが周りと合わなかったので、その必要性すら、感じなかったんですね〜。
今となれば、他の人の話を「自分の知らない世界を知れるようで面白い!」なんて思うのですが、
当時私はまだ、自分の知らない世界を広げてみるということの価値をわかっていない未熟者でしたから(笑)
「同級生がどこに行ってようと私には関係のないこと」なんて冷めた頭でいたんですね。
だから、「どうしてやらないの?やったらいいのに。」と言われても、返答に困りました。
やりたいと思わないことを、なぜやらなければならないのか...と。
▶︎SNSの使いかた
だから、情報発信を始めたころは、正直SNSに接する時間が苦痛でもありました。
余計な情報が次から次へと流れてくるし、嫌でも他人と比較してしまう。
本来であれば必要な情報だけを取り入れるためのフォロー機能、や「いいな」と思ったらそれを発信者に届けるためのいいね機能、
であるはずが、
フォロワーやいいねなどが多いことが凄いこと、良いことのようで、これらを増やす行動をするという、目的と手段が逆転する事態。
目も疲れて、悪影響しかないとすら感じました。
だけど、SNSにもいいところがたくさんありました。
▷想いを届けたい
まずは、自分の思いを多くの人に届けることができます。
私は誰かのためになりたくて、自分の失敗や乗り越えてきたことを発信しているわけなんですけれど、SNSがない時代に生まれてきていたら、突然、無名な人が「話を聞いて欲しい」なんて言ったところで、おそらく誰も聞いてくれませんね。ハードルが高いですね。
そう思えば、今こうして書いて公開ボタンを押すことで、離れた場所にいるあなたに、読んでもらえていることが、本当にありがたいです。
ありがたい時代です。
▷繋がりたい人と繋がれる
そしてもうひとつ。
自分が尊敬している人や、助けてもらった恩人、
同じ思いを持っている人など、
繋がりたかった人々と、繋がることができたこと。
ただ、感謝や思いをSNSで綴っただけが、彼らの手元に届いて、ひとこといただくことができた。そんな経験が、まさか彼らと繋がれるとは夢にも思っていなかった。と、初めてSNSを使ったわたしは驚いたものです(笑)
これもやっぱり、SNSのない時代では、あり得なかった、幻のような出来事でした。
▶私のSNSの使い方
だから、その頃から、私なりにSNSをうまく使っていきたいと思いました。
中には、SNSで自分の日常的なことを載せて人に羨ましがられたいとか、自分をよく見せるために使っている人もいるかもしれません。
だけど、私は自分の承認欲求のためにSNSは使いたくないと感じています。
「今日は、これだけ書いた〜」という満足感のために書いてはいますが、そこに承認欲求や他人への期待は持ちたくないんですね。
反対に、
自分の失敗談や、自分が何かを乗り越えた話とか、そういった本音を書き続けて、いま辛い思いをしている誰かが、私の発信を見て
「こんな人もいるんだなあ…この人よりかはまだマシだ」と元気を出してくれたら、それで十分です。
十分というか、それが私が情報発信をしている目的なので、目的達成です。
だから、私をどんどん踏み台にしてほしい。
それで元気がでるならそれでいいのです。
▶辛い時は比較していい
「他人と比較する」というと、あんまり良いイメージを持たれないと思うのですが、自分が辛いときには、どんどん比較していいと私は思っています。
もちろん、それを言葉に出したりして他人を傷つけたりすることは良くないと思いますが、自分の中だけに留めておくならば、どんどん比較して自分よりひどい状況にある人たちの考えや体験を武器にしていいと思うんです。
作家でもあり画家でもあり建築家でもあり、躁鬱病を抱える坂口恭平さんも、自分が辛い時は、自分以上に鬱状態にある人の文章を読んでいたと、書籍『病と傍にあった本』で述べていました。
▶増えていけばいい
こうやって、私の失敗談を誰かが踏み台にして頑張ることができて、
そしてその人が失敗したことや恥ずかしいことをまた発信して、
それを見たどこかの誰かが、それを踏み台に今日も一歩を踏み出せる。
そうやって、キラキラばかりじゃなくて、泥だらけになったことも発信していけば、一歩を踏み出すことがもっと容易くなるんじゃないかなあと思います。
そんなふうにSNSを使う人が増えて、みんなで辛いときには手を差し伸べられる世の中になっていったらいいなあ〜なんて思っていました。