【エッセイ】所詮はすべて、気分と好み〜そして繰り返す僕ら
気にするだけ無駄なことで
世界は溢れておりますが
どうしても僕たちはヒマなので
そういう事に目を向けてしまう
だから色々と辞めていくと
「あぁ、本当生きてるってヒマなんだなぁ」って
すごくよくわかります。
妙なことに
"何か詰め込む事が良いこと"みたいなのって
ただ漫然と日々を生きていたら
絶対に気づかないけど
この世の中の現実は
なんか大半のことが"わざわざ生み出されて"
それを"浪費するための最もな理由"がまた作られて
それがその国とか地域とかコミュニティーとかの
【あらゆる"都合"を管理する為】に
そこにいる人たちに
もう無意識レベルで植え付けられていく。
だから僕たちは何にも気づかずに
それが普通、とか、常識、とか、当たり前、
なんて言葉で操られて生きていくことになる。
僕らはひとりになるという事が
実はすごく"個人"の人間の精神衛生上
(安心安全)なところがある
なんて事実をハッキリとは誰も言わない。
むしろそれに対して
危険を煽ったり、
どこか人間として欠陥がある、みたいな
論調を立ててくる人が必ずいる。
でも、人がひとりになることが
安心安全だというのが事実なのは
「ひとりの時間が大切」
って昔から一般論としても言われてきてること。
「ひとりになって頭を冷やす」とかもそう。
昔からひとりになる事の大切さは言われてきた。
なので肝心なこと、大切なことは、
(ヒマを誤魔化さない)ということ。
これがヒマなんだな、やる事ないな、
って
妙に"詰め込められてきたこと"なんかを
ひとつひとつ辞めて
一回ちゃんと
人としてのヒマを味わってみる。
そうすると不思議なもので、
周りの人たちと自分が完全に切り離せる。
周りのせいだ、アイツのせいだ、みたいな
他者否定、他者への責任転嫁、
そして無意識に相手を変えようとする
"意味不明なバグ" みたいなことにも気づく。
自分以外の人間が病気になっても
痛くも痒くもないくせに
自分みたいに痛い思いをしろ
お前もこう生きろというのは
"バグ"以外の何ものでもない。
そして個人的にこのことに気づけたのは
それはそれは
本当に物凄く大きな発見だった。
誰かが隣にいてもいつも孤独な人
でも誰かいないと耐えられない人
寂しがりやの人
依存とか執着とか言われてもわかんないって人
相手に自分をわかって欲しい人
相手にも自分と同じ価値観を持って欲しい人
でもやっぱり自分は誰とも分かり合えないと思う人
なんで自分ばっかりこんな辛いっていつも思う人
真面目に生きてるのにって思う人
両親からの愛情に恵まれなかった人
僕は個人的に今書いたことは
全部当てはまって過去生きていたけど、
1人になる時間を選んでいったことで
5年くらい経った今
やっとこの息苦しさたちから完全に離れられた。
だから今こうして書く事が出来ている。
そしてこれは本当に詰まる所の話
色んなスポーツ選手なんかも
一般論として言ってたりするけど
(幸せは自分の心が決める)
みたいな話はつまり
【自分で自分をいちばん大事にしてあげる】
ということに他ならないと思う。
彼氏彼女、結婚、出産、友達100人、
全部どうでもいい事。
自分の我慢を他人にもさせる世界は
自分次第で終わらせられる。
その方法は、とにかくちゃんと
1人になるということ。
それが本質的な"独立"とかいて独り立つこと。
『必要最小限』という言葉がある。
それはつまり
それさえあれば生きられるという事。
全てが完璧に通じ合う人なんてのは
みんなそれぞれバラバラな人の中で
まず存在しないという事実があって。
それを色々な幻想で演出すると
たった1人の運命の相手、みたいな話になるけど
それも結婚というシステムに繋がる為の
創作美談かもしれない。
実際にまず"性別が異なる"ところから
"同じ人間なんてものは存在しない"
ただ不思議なことに僕ら人間というのは
その1人という人間個人の
安心安全が『外から脅かされる』のは
極度に警戒したりするけれど
どこかで1人になると
この安全を"壊したい"と思う。
なぜなら安心安全だと
ヒマで仕方がなくなるから。
そして刺激が欲しくなるから。
だから結局は、言葉を話さない、
同じ方法でコミュニケーションを取らずに済む
動物と暮らす事を始めたりする。
また、それと同様に、
人肌が恋しくなったりもする。
結局はこの繰り返しでしかない。
僕たち人間は
おしまい
二階堂新太郎
2024.10.02(水)