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【短文】何事も、正面から向き合うか ・ 向き合わないかの2択

過去の僕もそうだったし
今だってたまに古傷が痛むこともあるけど
例えばの話。
何か練習してもなかなか上手くいかないスポーツや
歌やダンスやお芝居の稽古の中での課題は
そこと向き合って練習や稽古をしなければ
当然ながら上手くはならない。
あとは例えば、人間関係の悩み。
人との関わりの中で自分の中にいつからかある
「無意識に人を常に疑ってしまう」ところから
人を信じられなかったり、どこかで怖くなって
周りの身近な人や大事な相手が
優しく手を伸ばしてくれても
また傷つけられるかもしれないと
人を信用できないから自分を守ろうとして
「相手を傷つけてしまう」ことを繰り返したり
「素直に謝れず」「支離滅裂な行動」
を取ったりしてしまっては
結果的にはあいつはクズだ、とかろくでもない
酷い奴だ、と思われたりする経験を重ねて
その負のループのどツボに
どんどんと追い込まれてしまう。

過去からある自分を苦しめる問題に
改めてまたぶつかった時、
何かで気を紛らわせてもいいだろう。
ただ本当は自分でもわかってる通り
そんなことしても何も紛れてくれはしないし
そんなことしてる場合じゃ無いんだ。
ただもしもまだ
そんな虚しい時間に気づかずに
ただ逃げてるだけなのだとしたら
多分それは解決せずに終わるだろうね。
つまり過去と同じ過ちの繰り返し。

いやそれ以上に自分に取って
取り返しのつかない辛い形で終わるという結末が
待っているということを
僕の経験から伝えておきます。

何度後悔しても、何度泣いても泣いても泣いても、
そんなものには残酷なまでに一切価値は無いんだ。
その時にどう自分の捉え方から来る
トラブルの原因や
それに繋がる自分の課題に気づいて
それを解消する為にちゃんと
自分と向き合うかどうか。
ただそれだけなんだ。

怪我や病気をした時に、まずその原因が
どこにあるのかを見る。
出血した所があれば、ばい菌が入らないように
消毒してガーゼで抑えて、
傷口を塞ぐように手当てする。
何かの病気なら、
その症状がどこから来るのか検査して
その原因に対して色んな形で治療したり
必要なら入院や手術をしたり、リハビリしたりする。

『生きづらい』というのは『体が悪い』
と同じ意味で、その具体的な内容として
『無意識に人を傷つけてしまう』
『人を信じられない』といった大きな症状があって
その原因がなんなのかを検査するのが
『自分自身と向き合う』ということだろうと思う。

例え話がうまく伝わっていたら
いいなと思うんだけど。

つまり向き合うか、向き合わないかで
自分の中にある生きづらさの原因に
気づけるか気づかないか、だったり
何かに対してや誰かとの間にある
問題や課題にも、気づけるか気づかないか。
そしてつまりはそれを
解決できるかできないか
ということそのものに直結している。

賢いあなたの、賢明な選択と決断を
そして生きづらさが少しでも和らぐことを
心より願って。

2025.01.12
二階堂 新太郎


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