【子育てエッセイ】きりがなくても、諦めない/愛と物がイコールではない親子間
とても悲しみを感じるのは
両親や祖父母から
"愛"を『物』で与えられた人ほど
現実世界を無視して
お店の店員さんに偉そうにしたり
子供のうちから周りの人間を物として扱い
他者の人格を無視する人になること
若気の至りという普遍を知らず
自分に疑問を持てないのは
悲劇に他ならない
これが親の責任でないのならば
誰の責任なのだろうか。
という論調はごもっともな中で
その生き方が自然体として
疑問を持つ必要がない世界線で
純粋に生まれつき物理的にゆとりのある家系に
生まれ育った女性ほど
可愛さのあまり与え倒してしまう。
という事実もあり、
ここでまた別の視点で観ると
何不自由なく育った純粋で優しく美しい女性が
母親となった先で我が子との交流に葛藤し
新興宗教に依存したり
精神疾患で何も出来なくなったり
果ては自死にまで至ることも少なくない。
となるとやはり
どの様な環境の中であれ
(包み込む母性)と並列にある
現実の中の怖さ厳しさ
そして必ず繊細さという側面も含めて
子供に共有する[父性]もまた
母性と同等に肝心なことなのだと感じる。
要するに子育てには
母性も父性も欠けてはならない
という事。
それは子供を私物化する偉そうにするとは真逆の
その子供の体質性格を決めつけず
常に成長変化する過程に寄り添いながら
本人が世界と繋がりを保ち生きる上での
必要最低限の"人間としての心得"は
ちゃんと伝え実感してもらうということ。
今回はこのあたりで。
おしまい
二階堂新太郎
2024.11.30(土)