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ブッダの生涯

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ゴーダマ・シッダルタとして生まれたブッダ。ブッダがどのような考え、出家し修行の末さとりをひらいたか。このテーマを明らかにします。なお、なるべく史実に基づき書いております。
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2021年9月の記事一覧

ブッダの生涯⑷ 若き日のブッダの悩み

ブッダの生涯⑷ 若き日のブッダの悩み

シャーキャ族の浄飯王の長男として生まれたブッダの少年時代は社会的身分(生まれながらにしてクシャトリア)と物質的面に関して恵まれていた。

優雅な日々を過ごすブッダだったが、宮殿の物質的快楽に満足していなかった。少年時代のブッダむしろ静かに瞑想(めいそう)し、思案することを好んだ。

この頃、次のような逸話が残っている。

・樹下観耕(じゅかかんこう)
ある日ブッダは父浄飯王とともに国の農耕祭に出席

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ブッダの生涯⑺ 最初の説法〜初転法輪

ブッダの生涯⑺ 最初の説法〜初転法輪

・梵天勧請と説法の決意
成道(さとりを開いた)後、ブッダはしばらくのあいだネーランジャラー河のほとりにとどまって禅定を続けながらさとりの内容について吟味することを繰り返していた。その中でブッダは次のような想いを抱く。
即ち、わたしがさとった法は深遠で理解しがたく、静寂ですぐれ、推論の範疇を超え賢者によって感受されるものである。しかしこの世の人々は執着によって楽しみ、執着おいてよく喜んでいる。そのよ

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ブッダの生涯⑶ ブッダ生誕

ブッダの生涯⑶ ブッダ生誕

・誕生
ヒマラヤ山脈南側にタラーイと呼ばれる盆地がある。その盆地にガンジス河の支流であるローヒニー川が流れている。ローヒニー川の西側にシャーキャ族が住み東側にコーリア族が住んでいた。ブッダはこの地の住人シャーキャ族の第一子として生まれた。父はシュッドーダナ(浄飯王)、母はマーヤー夫人といい、父浄飯王はシャーキャ族の王位にあった。
母マーヤー夫人はお産のため故郷コーリア族の国に帰る途中、ルンビニーと

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ブッダの生涯⑻ 仏教教団の成立

ブッダの生涯⑻ 仏教教団の成立

・仏教教団の成立
ブッダの教え、即ち、仏教はブッダのさとりなしには成り立たない。この世界に具体的に仏教が誕生したのは『初転法輪』によってであると理解する必要がある。同時にブッダのさとりが五比丘によって共有されることによってブッダを中心とする修行者の集団が形成されることになった。つまり『初転法輪』によって仏教の集団化がスタートしたのであり、この時6人からなる仏教教団が成立したのである。この仏教教団を

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ブッダの生涯⑹ ついに訪れた『成道』の時

ブッダの生涯⑹ ついに訪れた『成道』の時

ブッダは『苦行を実践、難行をもってしても、わたくしは常人の法を超える、非常にすぐれた聖なる知見に至ることはできなかった。それはなぜか。そのための聖なる智慧にいまだ到達していなかったからである。この聖なる智慧が獲られたなら、それは生死を脱する聖なるものであり、それを実践するものはまさしく苦の消滅に導かれるのである』(中部経典)
と、反省した。

このように反省した時『苦行はなんの利益もない』とブッダ

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ブッダの生涯⑸ 出家、修行の日々

ブッダの生涯⑸ 出家、修行の日々

・出家
ブッダはヤショーダラー妃と結婚した。ヤショーダラー妃についてはよくわかっていないが、コーリヤ族の出身だともつたえられている。ブッダの結婚した歳はだいたい18歳ごろとされている。ヤショーダラー妃は計算上10歳ごろ結婚したとみられる。

29歳のとき2人の間に一人息子、ラーフラが生まれる。『ラーフラ』とは『束縛、障害』という意味で、我が子ですら出家の道を探るブッダにとっては自分を束縛する存在だ

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ブッダの生涯⑵ 自由思想家の時代

ブッダの生涯⑵ 自由思想家の時代

紀元前600年頃から、アーリア人の勢力はガンジス河中流域に達しこの地方に強力な新興国家が台頭し始めた。この時代までに共和制部族国家の他に専制君主国家も出現するようになっていった。特に専制君主国家は軍隊を保有して強大な力を得た。中でもコーサラ国、マガタ国、アヴァンティ国、ヴァンサ国がこの地域で強大だった。

この時代には、ガンジス河の肥沃な土地からは多量の農産物が収穫されるため商工業も盛んになり、都

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ブッダの生涯⑴ブッダ生誕以前のインド

ブッダの生涯⑴ブッダ生誕以前のインド

仏教以前のインド
インドにおける最初の文明は紀元前2500年頃起こったインダス文明である。
この文明はインダス河流域を中心として栄え、とくに代表的な遺跡として下流域の『モヘンジョダロ』と上流域の『ハラッパー』が代表的でよく知られている。焼きレンガの建築物、印章など使用していた。この文明の住人はメソポタミアのシュメール文化とも交易をおこない文化的に深いつながりを持っていた。
インダス河流域は高度な文

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