コミュニケーション障害を齎す『スキーマ(信念)』
コミュニケーションについて知識を増やしております。カエルです(o・ω・o)どうぞよろしくお願いします。
私は「コミュニケーションしようと思えば出来るけど、いろいろめんどくさいと感じてやらない判断をしてしまう」タイプのコミュ障なんですが、
(蛙・ω・)<どうしてそんなことになったんだっけ?
と、ふと考えたのです。
無意識の「スキーマ」
生まれた瞬間からコミュ障な人はいないワケです。
成長の過程で。大人になる道中で。青春から玄冬へと移り変わる中で。
だんだんと「コミュニケーションが苦手」になり、「コミュニケーションそのものが出来なくなる」というのが、"コミュ障道" な訳です。
そこで問題になるのが、
というバックグラウンド。
ブログ内で紹介されている『対人問題ワークブック』の著者、マシュー・マッケイ博士曰く、
と仰っており、スキーマとは、「自分自身や他人について無意識のうちに抱いている中核的(物事の中心にある重要)な信念」とのこと。
■マシュー・マッケイ
前述の「会話をすることで、嫌な思いを経験したことがある」という人は圧倒的マジョリティだと思います。事実、私もそうです。
相手と建設的なコミュニケーションを取りたくても感情論になって平行線になったり。
そもそもコミュニケーションを拒否されたり。
コミュニケーションを望むことで不快な思いをすることは多々あります。
「コミュニケーション面倒くせえ」と思うことなんて、私にはしょっちゅうです。
そしてそんな "経験" が、「コミュニケーションを取ろうとすると、不快な思いをするから他者とは一定の距離を置こう」というスキーマになる。
というお話。
そうして積み重なって出来た『スキーマ』は、コミュニケーションの度に鎌首をもたげてこう言います。
「積極的なコミュニケーションは嫌なことのデメリットばかりだからやめておけ」
てことで、私みたいな「コミュニケーションしようと思えば出来るけど、いろいろめんどくさいと感じてやらない判断をしてしまう」タイプのコミュ障を生み出してしまったというワケ。
ま、それが全てではないでしょうけれど、スキーマが無いと言えないくらいには、信念的に「他者とのコミュニケーションめんどくさい」と思ってしまいます。
無意識に「嫌な思いの可能性」を遠ざけているのでしょう。
マッケイ博士曰く。
私の場合で言うと、
私が「コミュニケーション面倒くさい」と思っているとき、
私は相手に対しても、「コミュニケーションを取るには面倒な人だ」と解釈したり、
「そもそもコミュニケーションはめんどうだから、話しかけないでおこう」
と目の詰まった漉し器のようなフィルターにかけてコミュニケーションを捉えている。という訳です。
思い起こしてみれば、すごく腑に落ちる思考です。
スキーマは深く刻み込まれているうえに、世界を理解するのに役立つので、根強く残り続ける。
さて。
そんなスキーマをどう回避するのか?
どんな手法で払拭するのか?
というのはまた明日書くとします。
気になる方はパレオさんのブログからもどうぞ~。
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