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日常に漂う「香り」をまとった小説に誘われて

月ごとにテーマを決めて、小説を通して出会った興味を深掘りすることにした2024年。

6月のテーマは「香り」について。

自然と日常に息づく「香り」は、暮らしのなかだけでなく、さまざまな用途で利用されている。

実は、6月に「香り」にまつわるあれこれに触れる機会もあって、学んでみたい欲が再燃していたテーマだった。

一から香りを作りだす「調香師」と呼ばれる人々

最初、香りについてもっと深く知ってみたいと思ったのは、千早茜さん『透明な夜の香り』を読んだことがきっかけだった。

この作品では、洋館で家事手伝いをすることになった女性が、客の望む香りを自在に作りだす「調香師」と出会い、彼が作りだす魅惑の香りに惹かれた人々とのやりとりを通して、自身の固く閉ざした記憶を思い起こしていく様子が描かれている。

書店員を辞めて、新しく働ける場所を探していた主人公の女性・一香は、家事手伝いのアルバイトの募集に誘われ、森に紛れた古い洋館を訪れる。

そこには、どんな香りでも意のままに作りだすことができる調香師・小川朔という男が住んでいた。

庭で育てた香料植物薬用植物を使って、いとも簡単に魅惑の香りを操る彼のもとには、形のない幻想とも呼べる代物を追い求める人々から、風変わりな依頼が続々と届けられる。

調香師としての仕事を何度も目のあたりにして、彼が抱える深い孤独に触れた一香は、やがて自身の心の奥底に閉じこめていた、ある記憶について思いをめぐらせる。

現実に存在する香りは、記憶と対になって人々の心に棲みついて、良くも悪くも忘れることのできない幻想を植えつけていく。

読んでいる最中は、想像でしかない香りが、まるでページから立ち昇っているように思えるほどの描写力に圧倒された。

千早茜さんなら、本当にタイトルの「透明な夜の香り」を作り出せるんじゃないかと思うくらい。

ちなみに、千早茜さんは料理の描写も秀逸で、読書中の食欲を存分に刺激してくる。すぐに真似して食べたくなってしまう。

朔さんにはいつものカリカリの薄切りトーストを二枚、焦げ目の入ったアスパラガスに目玉焼きをのせ、タイムで香りづけした焼きトマトを添える。胡椒は各自で挽く。

『透明な夜の香り』/千早茜(p.78)

また、「記憶」は5月の読書テーマでもあったので、「記憶」と密接に関係している「香り」がどのような存在なのか、いっそう興味が湧いた。

香りがどのような作用で記憶に影響を与えているのか。それぞれの香りには、どんな効能があるのか。そして、どんなときに、どんな香りを人は必要としているのか。

果たして「香り」とは、人にとって、どのような存在なのだろうか。

「植物の香り」が心と体に与えるもの

そんな疑問を巡らせながら訪れた書店で見つけたのが、塩田清二さん竹ノ谷文子さんの共著『「植物の香り」のサイエンス:なぜ心と体が整うのか』だった。

この本では、特に「植物の香り」に焦点をあて、人体の構造と香りが届くメカニズムを解説しながら、その実態や効能を明らかにしている。

特に印象深かったのは、似たような香りだとしても、含まれている成分や効能によって人体に与える影響が異なること。

たとえば、森の中を歩いているときに感じる独特な香り。自然の匂いに包まれてリラックスしたいと思うことが自分もよくあるので、とても馴染み深い香りでもあった。

樹木から発される香り物質をまとめて「フィトンチッド」と呼んだりします。

『「植物の香り」のサイエンス:なぜ心と体が整うのか』/塩田清二・竹ノ谷文子(p.86)

「フィトンチッド」は主に抗菌作用や防虫効果があるらしい。桜餅や柏餅などに、それぞれ桜や柏の葉っぱが使われているのは、抗菌効果も期待できるからだ。

ただ、そんな木々の香りが混ざり合った「フィトンチッド」にも、それぞれに含まれている成分の違いによって、まったく異なる効果を示すことがあるのだ。

(前略)さて、NIRSで脳血流量の変化を調べると、ヒノキの香りは前頭葉の活動を抑え、スギの香りは活性化させることが示されました。

p.203-204

この本では、ヒノキとスギは同じ「フィトンチッド」にもかかわらず、真逆とも言える効果を持っていると記されていた。

前頭葉の活動を抑えてリラックス効果をもたらすヒノキの香りと、前頭葉を活性化させて論理的な思考能力を高めるスギの香り

分類としては似たような「木の香り」なのに、正反対とも言える効果を発揮するのが不思議で仕方がなかった。

「香り」が「記憶」に結びついている不思議

「香りは脳の海馬に直接届いて、永遠に記憶されるから」

『透明な夜の香り』/千早茜 本文引用

自分にとって印象深い「香り」は、祖父母の家の匂いだった。

どんな感じなのかと問われると、何とも言葉にしづらいし「再現してみて」と言われてもまったくできる気はしない

でも、きっとその香りと出会ったなら、すぐにわかる気がする。昔、夏に遊びに行ったときの、あの懐かしい香りだと。

以前、「記憶」について学んていたときにも「香り」は記憶を想起する手がかりになるのだと教えてもらった。

(前略)このように、繰り返された出来事であっても、一回限りの出来事であっても、それらと結びついた場所、味や香りといった手がかりのあることが、記憶の想起(再現)にとって不可欠なのです。

『記憶力の正体 人はなぜ忘れるのか?』/高橋雅延(p.203-204)

実際『「植物の香り」のサイエンス』でも、香りと記憶についての関連性を紐づける記述がそこかしこにちりばめられていた。

たとえば、この本では記憶力を向上させる香りの一つとして、ローズマリーが挙げられている。

ローズマリーの香りには、脳の交感神経を優位にして集中力を高める作用があるらしい。

ただ、ローズマリーのような前頭葉を刺激して脳を活性化させる香りが、必ずしも全ての人にとって記憶力を高める香りになるとは限らない。

(前略)このような研究から分かることは、記憶力や脳のパフォーマンスを上げる香りは、個人の特性や状況、処理すべきタスクによって異なる可能性があるということです。

(p.94)

気が緩んで集中できない人にとっては、集中力を高めるローズマリーのような香りが効果的ではあるが、普段から緊張しすぎて本来の力を発揮できない人にとっては逆効果になる可能性もあるという。

緊張しやすい人は、鎮静効果のあるイランイランラベンダーの香りのほうが、脳のパフォーマンスを向上させる、と。

性格やその場の状況によって、適している香りが異なるなんて考えたこともなかったな。

最後に

実は、6月にとあるイベントに参加したときに、実際に調香師として働く人とお話しする機会があった。

今まで触れたことのない香りの世界だったので、話を聞いているだけでワクワクしたのを覚えている。

また、学んでいて思ったのは
「香り」と「記憶」はとても似ているということ。

どちらも実態がなくて、視覚的に確証を得ることができないので、エビデンスが取りづらい。どうしても人によって好みの差が出てしまう。などなど。

ただ、だからこそ、そんな形のない「香り」と「記憶」が結びついて、それぞれをより強固にすることがどこか不思議で興味深いなと感じた。

香りは記憶に色をつけていく。そして、色づいた記憶によって、香りはより鮮やかなものになっていく。

そんなイメージが思い浮かぶような、心地よい学びの時間だった。

それにしても、学ぶと実際に活用してみたいと思うのが人間の性なので、さっそく精油(エッセンシャルオイル)を買って、自宅で「香り」を活用してみようと思った。

購入したのはレモングラスの小瓶。レモングラスの香りには、交感神経を刺激して集中力を高める効果がある。

ずっと家にいると集中力が途切れてしまう瞬間は必ずあるので、せっかくだからレモングラスの香りに助けてもらおうという魂胆だった。本当にわかりやすい性格だな。

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