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さよならポエジーの歌詞と「日常」

「さよならポエジー」というバンドをご存知だろうか。

神戸初、日本語ロックバンド。
シンプルだけども「さよならポエジー」を言い表すために欠かせない言葉。

愚直に鳴らされるロックサウンドと、それに流されることなく響く印象深いメロディ、淡々としながらも力強い意志を感じさせる歌声。

「仕掛け無し、に死角無し」を掲げる彼らによって作られる音楽はもちろんのこと、このバンドの真髄は何と言っても、ボーカルのオサキアユさんが綴る「歌詞」

気だるい朝に感じる倦怠感や
憂鬱な日々の延長線を想った時の虚無感。

普通に生活をしている中で、不意に襲われたことのある人も多いだろう。

オサキアユさんが書く詩は、そう言った「日常」で感じる得体の知れない不安や、何者にも成れないのでは無いかと自問自答する自分を、俯瞰的に眺めている様な気にさせられる。

ただ、唄に込められているのはそう言った諦めや不安といった感情だけではなくて、その感情にどう折り合いをつけていくか、はたまたどう戦っていけば良いのかと言った不屈の精神を感じ取ることができる。

誰にも見えないところで闘志を燃やす。
日の目を見るその日まで絶やさないように。

「さよならポエジー」を聴いていると、漠然と自分だけが感じていると思い込んでいた不安や虚無感と、同じように戦っている人がいるんだと、そう思える。

前線に告ぐ/さよならポエジー

そんな、オサキアユさんが綴る歌詞。
聞き慣れない難解な言葉も多く
文学的な表現も数多く登場する。

赤が青になる様 日々は単調になっていくわ
無傷はふりだしの象徴であるかの如くです
馬鹿が阿呆になる様 日々に変調もさしてないわ
蹉跌は自らへの表彰であるかの如くです

前線に告ぐ/「前線に告ぐ」収録

どのような青春時代を過ごせば、20代前半にこの歌詞を書くことができるのだろうか。人生2週目ぐらいの達観した心持ちがないと無理な気がしてしまう。

そんな「さよならポエジー」の楽曲なのだけど、かと言って、全体を通して全く理解できない難しい語句ばかり並んでいるわけではなく、サビに入ると突如としてシンプルなフレーズが飛び込んでくることもある。

あなたならきっと上手く生き残れるわ

前線に告ぐ/「前線に告ぐ」収録

「前線に告ぐ」と銘打たれたこの楽曲の核となる部分。
これまでとは打って変わって、丸腰の言葉。

「必ず」とは言わないで
「きっと上手く」生き残れる、と告げる。

もちろん全ての曲に当てはまる訳ではないけど
この構成は他にも多く見られる。

難解な言葉の波を抜けた先に現れる、まっすぐな言葉。
だからこそ、聴いているものの胸にスッと入り込んでくる。

そのバランスがとても心地よく、韻や音の響きも秀逸なほどに考え込まれていて、「さよならポエジー」の曲は安易に聞き流すことができずについつい物思いに耽ってしまうことも多い。

自分は「その一閃」という楽曲の
サビのフレーズがとても好き。

時代よ 僕を選んでくれないか

その一閃/「遅くなる帰還」収録

誰でもなく、時代
この言葉は決して人任せではないし、匙を投げているわけでもない。

むしろ、確固たる自信と秘めた反骨心が剥き出しになっているような、それでいて奢っている雰囲気を全く感じさせない言葉に胸を打たれる。

また、このサビに至るまでの歌詞を聴くと
より一層このフレーズの重みが伝わってくるはずだ。

ぜひ、一聴してみて欲しい。

pupa/さよならポエジー

時に、自分は「形容詞+名詞」という組み合わせの言葉が好きだ。

さらに言えば、この組み合わせはどんな言葉よりも
その人の個性を炙り出すものだと思っている。

例えば「つまらない人生」という言葉。

決して間違ってなどいないし、直球で表現するとそれ以外に相応しい表現はないだろう。

でも、同じような意味だとしても、この「つまらない」と言う言葉以外に、もっと深くまで感情を伝える言葉が存在しているはずなのだ。

この「pupa」という楽曲でも、印象的な歌詞がある。

度し難い日々にとどめを刺してくれ
光や興味をくれ

  pupa/「THREE」収録

この「度し難い日々」という言葉は、もしかしたら意味としては「つまらない人生」と似たような物なのかもしれない。

だけども、より繊細に、何かが迫ってくるような切迫感を抱かせる。

「積もり積もったこれまでの苦悩を、一刻も早く終わらせたい」
そんな想いがヒリヒリと伝わってくるのだ。

例に倣ったような言葉、ありふれた形容詞では表しきれない、喜怒哀楽の隙間をオサキアユさんの言葉は埋めてくれる。

気が触れる物語
泥状になった悲しみ
酌み交わすだけ酌み交わそうじゃないか
生涯を終えるまで

Nuts/「前線に告ぐ」収録

この曲も大好き。
「分かち合う」のではなく「酌み交わす」

さらに「泥状になった悲しみを酌み交わす」という表現に、どこまでも背負わなければならない十字架、それを共に背負っていく仲間への想い、様々な感情が入り混じっている。

「悲しみ」だけでは、「分かち合う」だけでは入りきらない感情がそこにはあって、そんな言葉を紡ぐことができる人たちを好きになってしまう。

二月の中を/February/さよならポエジー

「さよならポエジー」の楽曲は先ほども言った通り、難解な言葉が数多く散りばめられている曲が多いものの、その言葉たちは決して突飛に現れるわけではない。

離れすぎた距離感でいよう
朗報がそっと届くように

二月の中を/「遅くなる帰還」収録

名前も無い奴を忘れよう
もう回想もしないように

二月の中を/「遅くなる帰還」収録 

この曲では同じような文章構成で
それぞれの言葉が「連想」されるように並んでいる。

「離れすぎた距離感」「朗報」
「名前も無い奴」「回想」

普段目にするような言葉だとしても
簡単に曲の中に溶け込めるわけではない。

それでも「さよならポエジー」の言葉は、曲の雰囲気やストーリーに沿うように違和感なく混ざり込んでいる。

「朗報」「回想」と言う言葉に関しても、全く聞いたことのない言葉ではないし、かと言って日常で頻繁に使う表現でもない。実際のところ、歌詞の中に自然と登場させるのは難しいように思う。

それでも、この曲で出てくる言葉たちは、それこそ一つ一つの文章の中で綺麗に収まり物語を完結させている。羅列された物語が次々と紡がれ、最終的に「誰にも頷かなくていい」と言うサビのシンプルな言葉へと繋がっていく。

オサキアユさんは、そう言った「日常」の中で聞いたことはあるけど使わない言葉を、歌詞の中で登場させるのがものすごく上手い。「非日常」的な言葉の数々に対しても、反発することなく紛れている。

きっとたくさんの文章や言葉に触れてきたんだろうな。

最後に

相変わらず好きなことについて書いていると長くなってしまう。

まだ聴いたことのない方は
ぜひ、彼らの楽曲を一度で良いから聴いてみて欲しい。

一人で抱えたままになっている不安や鬱屈した感情が
彼らの言葉と共に「日常」を通り抜けていく。

余談だけど、年が明けてすぐ、初めて「さよならポエジー」のライブを見に行けることになった。

今から、その日が待ち遠しくて仕方がない。


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