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移ろう季節の真ん中で全てが綺麗だった
隅田川花火が咲いて 散るまでには会いに行きます
移ろう季節の真ん中で全てが綺麗だった
夜、歩いていると、祭りの気配を感じるときがある。
浴衣を着ている人々とすれ違ったり、屋台で賑わう喧騒が聴こえてきたり、ぼんやりと赤みがかった灯りが遠くの道を照らしていたり、目の前には広がっていなくとも、その存在を実感できて思いのほか楽しい。
それもあって、お祭りは中心で盛り上がるよりも、向こうから漂ってくる雰囲気を、遠目で楽しむほうが個人的には好きだったりする。
実は、人混みが苦手なのに、初めて物見遊山で訪れた隅田川の花火大会では、想像をはるかに超えた群衆に埋まりかけたこともあって、大規模なお祭りは高みの見物を決め込むことにしたのだった。
でも、林檎飴やベビーカステラの甘い匂いや、いつも歩いている道が特別な色で塗り替えられる宴の夜は、その日その場所でしか感じることのできないものだから。
たまには気配に誘われて、雰囲気に身を任せてみるのも良いかもしれない。
一方そのころ、「隅田川」で描かれるのは、煌びやかなお祭りの賑わいではなくて、思い出の一幕に映っている儚い出会いと別れの記憶。
初めてamazarashiの楽曲を聴いたとき、どこまでも先の見えない暗闇の底で、たった一筋だけ差しこむ光を見上げているような気持ちになった。
冴えなくても、みじめでも、踏んだり蹴ったりでも、それでもなお少しの希望を見せてくれるから、面と向かった現実を直視することができる。
作詞作曲をつとめる秋田ひろむさんの歌詞は、情景を切り取った綺麗な言葉たちが、寸分の狂いもなく記憶と重なる場所に散りばめられている。
〈面映い思い出一つ 紐解く手が震えています〉という歌詞で始まる「隅田川」は、情景描写だけでふたりの男女の心情が浮かびあがる、儚くて美しい楽曲だった。
〈朱色の影絵〉という言葉だけで、夏祭りの様相が伝わってくるのだから、日本語は奥が深い。
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