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ミステリーが好きで良かった

小説には様々なジャンルがある。

ファンタジー、SF、サスペンス、ホラー、日常物、恋愛、群像劇、ハードボイルド、青春小説、などなど。

そんな数多あるジャンルの中で、昔から今の今までずっとずっと好きだったのが「ミステリー」というジャンルだった。

「ミステリー」と聞くと、不可解な事件が起きた際にどこからともなく探偵が現れて、謎を解決する場面を想像する人が多いのかもしれない。

しかし、自分は「ミステリー」とは
もっとシンプルな話だと思っている。

必ずしも探偵が登場する必要はないし、事件が起きなければいけない訳でもない。何なら「ノックスの十戒」「ヴァン・ダインの二十則」が遵守されていなくても問題ない。あくまで、個人の意見だけども。

では、つまるところ「ミステリー」とは何か。

読者自身が、目の前に提示されている謎に興味を持ち、物語に隠された真実を知りたいという欲求に従って、結末を見届けるために読み進める。

それが「ミステリー」というジャンルを限界まで濾した時に残る真髄のようなもので、その一連の感情を抱かせる物語は全て「ミステリー」に他ならないと、自分は思っているのだ。

子どもの頃から本が好きで、ファンタジー本や児童文庫を読み漁っていた自分にとって、本格的なミステリーと出会った最初の記憶は、アガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」だった。

それまで探偵という存在が絶対的な印象が強かった「ミステリー」小説の中で、ただただ物語の謎だけに惹き込まれていった最初の物語。

真実とは何なのか。
なぜ、その不可解な出来事は起こったのか。

ラストまで読んだ時に感じた衝撃は
「ミステリー」の面白さを伝えるには十分すぎた。

その後、綾辻行人さん「十角館の殺人」を読んで、本格的にミステリー小説の沼に引き込まれてからは、今でも欠かすことなくミステリー小説を読み続けている。

何よりもミステリーの最大の魅力だと思っているのが、純粋な好奇心真実を知りたいという探究心がこれでもかと刺激されるところだ。

他のジャンルの物語であったなら、ストーリー全体を通してのドラマや登場人物たちの交流など、物語の世界観そのものに愛着が沸いてしまうことが結構ある。

物語が終わってほしくない。
登場人物たちの世界をまだ見ていたい。

そんな心残りに近い想いが駆け巡るのだ。

しかし、こと「ミステリー」において、物語を読んでいる途中、真っ先に到来するのは、ただ「隠された真実を知りたい」という感情だ。

「読み終わるのが寂しい」と思うまでもなく、早く謎を解きたいモヤモヤとした感情を振り払いたい、その一心でひたすらページをめくっていく。

物語は読めば終わってしまうし
何度も見ることはできない。
それはどんな小説においても、共通なこと。

でも、物語は終わっても
「ミステリー」はずっと続いていく。

もちろん、一度読んだミステリー小説に対して「記憶を消して、一から読みなおしたい」と思うことはある。むしろ、数え切れないくらいある。

ただ、何千ものミステリー小説を読んだとて、この世から謎が消えることはなく、新たな謎がどこかで生まれては、今まで見たこともない驚きをもたらしてくれるのだ。

だから、ミステリー小説を読んだ後は、物語の世界に未練を持つことなく、また、新しい物語に没頭できるのかもしれない。

「知らないものを知りたい」という感情は、この世の全ての人々が心の奥底で抱いているもので、今でも多くの謎に人類は挑み続けている。

そんな感情に対して、どこからともなく現れては、蜃気楼のようにふらふらと目の前を歩いていく「ミステリー」というジャンルは、自分にとって永遠に出口の見えない迷路のようなもので、これからもずっと彷徨い続けたいと思える場所だ。

誰もが気づかず通り過ぎてしまうような道端に落ちている疑問に目を向けて、何気なく生活する中で聴こえてくる小さな物音に耳を傾けて、興味が振れる出来事に首を突っ込んでいく。

知らず知らずのうちに
普段からそんな好奇心が芽生えていた。

ミステリー小説が好きだったからなのか、はたまた全く関係なくそう思えたのかは定かではないけれど、読んでいる時の好奇心に支配される感情は、自分の日常の中にも不思議と溢れている。

どれだけ驚かされようと、好奇心を刺激されようと、まだまだ読んだことのない「ミステリー」が世界には数多く眠っている。

楽しみが尽きることなく、広がり続けている。

「ミステリー」
が好きで良かった。
心から、そう思う。

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