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嘘じゃないことなど一つでも有ればそれで充分

日々、数々の「記憶」を足掛かりにして生きている。

尊敬する人に褒められたこと

書いた拙文に対して、身に余る感想をいただいたこと

大好きな人が貴重な旅先での時間を割いて、私にお土産を買ってきてくれたこと

どんな夢を語っても、時に厳しい愛を向けてでも、いつも必ず私を応援してくれたこと

etc...

ほかにも無数にあるけれど、他人から見れば、どんな些細なことのような記憶も、私が今日も生きることを選択しつづけるための必要条件だ。

そしてそれが真に事実なら、もっと人生を軽やかに、楽しめるのかもしれないけれど。

◎◎◎

大切な人たちを信じていないわけではないけれど、どうも疑ってしまう悪い癖が抜けない。

敬愛する人から、どんなにうれしいお言葉をいただいたって、「でもこの方は人付き合いの上手な方だから、これくらいのお世辞はさらりと言えてしまうんだろうな……」と思っている自分が喜びの背後に見え隠れする。

素敵なプレゼントをいただいたら、当然あふれるしあわせを一度は噛みしめるのだけど、その日の夜にはふと冷静になって「これってもしかして手切れ金的なアレでは??」などととんでもない思いつきが頭をよぎる。いや、最低か。

非常に有り難いことに、私はたいへん素敵な人たちに恵まれているので、うれしいことが人生にちょくちょく起こるのだけれど、つまり、その「素敵な人たち」に私は「釣り合っていない」ので、私と「付き合ってもらっている」という意識がどうにも抜けない。

長年の付き合いの友人など、客観的に見ても対等な立場であるはずなのに、どうも「仲良くしてもらっている」「遊んでもらっている」「時間を割いて会ってもらっている」というスタンスになりがちだ。

私がそのような認識でいること、当の友人に見抜かれたこともある。
「『遊んでもらってる』と思ってるでしょ?違うよ!私も楽しいんだからね!今、楽しんでるからね!」
と、かえって謎の気遣いをさせる羽目になった。

結局、自分に自信がないからこんなことになる。

◎◎◎

つい先日、ひとりの愛する友人と食事をした。

学生時代からの付き合いで、とても尊敬していて大好きな友人。大好きだけれど、私ばっかり好きなんじゃないかと思ってしまうくらい、大好きな友人。
私は来春、上京することになったけれど、離れてしまっても、ずっとお付き合いを続けられればと願っていた。

先日もあいかわらず、たった数時間だけれど、彼女との非常に濃い時間を過ごした帰り道。

「じゃあ、私が東京に行くまでにまた会ってね」と少し勇気を出して言った。
なんの勇気かって、ここで適当な返事をされてしまったら、しばらくは立ち直れないと自分でわかっていたから。

「もちろん、東京行っちゃうまでにあと1回——。1回と言わずに、会って」
それが彼女の答えだった。

◎◎◎

この記事のタイトル「嘘じゃないことなど一つでも有ればそれで充分」というのは、宇多田ヒカルの最新曲『君に夢中』の一節だ。

大好きな曲で、先月末の配信開始から既に何度も何度も繰り返し聴いたけれど、このフレーズはどうしてか、あまりぴんと来なかった。

あの人のお褒めの言葉も、あのときのうれしさも、あれもこれも、全部信じたい。すべて真実であってほしい。一つだけで充分だなんてそんな。

曲中の「私」だって、今はとりあえず一つで充分だなんて強がって言っちゃってるけど、一つが嘘じゃないとわかれば、次から次へといくらでも真実が欲しくなるんでしょ?愛と同じで、底なしでしょ?

ずっとそう考えながら聴いていたし、実際強がりで歌っているんだと思っていた。

でも、春までに会いたい、1回じゃ足りない、
友人がそう言ってくれたとき、
これさえ真実なら、嘘じゃないなら、
他のことはもうどうだっていいや、
そう思っていた自分がいた。

◎◎◎

身も蓋もないことを言ってしまえば、こうして、他者から与えられたしあわせにすがりつきながら生きていくのは、本当は望ましいことではないのかもしれない。

周囲は常に目まぐるしく変化していくし、人の気持ちなんてずっと変わらないわけがない。

結局最後に信じられるのは、自分の努力で手にしたものなんだということは、24年の人生を経て、近頃ようやくわかってきた。
私は必死で書いた卒業論文の評価がAだったということを、大学を卒業して2年になるという今でもひそかに心の支えにしている。

ただ、疑り深い、自信など皆無の私のことだ。
自分で得たはずのものすら信じられなくなることもある。

そういうときにすがりつくのは、いままでうれしいお言葉をいただいたメールやLINEのスクリーンショット、iPhoneのメモに残した記憶の数々。

自分しか信じられないと言いながら、他人に生かされていることを痛いほどに感じ、その割り切れない曖昧さに耐える日々。

嘘じゃないことなど一つでも有ればそれで充分


そう断言できるということは、すでに相当恵まれている。

信じられるものを都度見つけて、2022年も、気丈に生きていきましょうね。

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