2020/8/6 極私的日記 「中学時代の夏休みをどうすごすか、それはあなたたちの人生の縮図です。」リモートワークと夏休みの間には 深くてつらい 河がある
リモートワークはつらいね
最初は、物珍しく新鮮だったが政府の意向でリモートが増えるといろいろときつくなる。
フリーランスの人たちは変わらない日常だと思われるが、どうやって乗り越えてきたんでしょうか。
まず体調。規則正しく身支度して電車に乗り人に会う、っていうのは通勤に必要というよりは健康管理に必要だった習慣だったと今更気付く。荷物持って階段使えば、駅はアスレチックジムだ。
体を動かさないと頭脳労働も能率が上がるとも思えない。
また他人の仕事ぶりが見えないため、自分の業務が効率的にできているのか否かが見えない。
グーグルだってフェイスブックだってアマゾンだって、とりあえず執務室があるということは、人が集まるそれ自体に何らかの意味を見出しているんだろう。
ただ通勤時間が無くなったのでその時間を睡眠に当てられるのは合大きい。
自制して、仕事を行い明日につなげるというのは、受験生に戻った感じだ。
自制で業務効率、アウトプット、成果を出していくというのはなかなか大変でメンタルもそれなりに強くないと続かない。
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受験生だったころ、塾の先生に「中学時代の夏休みをどうすごすか、それはあなたたちの人生の縮図です。」と言われたことがあり、当時衝撃を受けた。
これから長い人生、結局のところ自制でどこまで自分を動かしていけるかっていうのは大きな問題であって、中学の夏休みには大きなヒントがあると思えた。
計画建てる奴、コツコツ宿題やる奴、セックスしまくる奴、引きこもる奴、アウトドア三昧な奴、塾予備校でほとんど休みが無い奴、友達作る奴、一人でゲームやる奴、部活で全部潰す奴、部活と塾を両立させる奴。。。
確かにその後の彼ら彼女らは、夏休みの過ごし方からして容易に想像できる人生をおくっている。
自制というのが、先天的なものなのか後天的なものなのかは、私の中ではまだ答えがでていない。
しかし、もし今の自分が過去に戻ったとしても、やはり同じような人生を選んでしまうのではないかという、漠然とした思いはある。
あの時こうやっておけばよかった・・というのは、その「あの時」が今来ても同じことを繰り返すのではないかと。。
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インターネットミームの一つに、「人生を10年前からやり直したい」
という相談に「君は10年後から、10年前の今に戻ってやり直しに来たんだよ」っていうのがある。
上の話からすると皮肉な話で、同じ選択する可能性が高いんだ・・・、ということ。
さて、リモートワークでは、思いがけない出会い、セレンディピティが制限される気がする。極論すれば家の中で全て完結してしまい、自発的に日常やルーチンを壊さない限り現状維持、同じ判断、同じ選択にとどまるということにもなる。
同じ判断、同じ選択を意識的に崩す努力をしない限り、漠然とした中学生の夏休みのように人によって今後の経験や進路、あるいは老後に影響を残すことになる。
それが幸せにつながれば良いのだが、禍根や後悔につながれば不幸な選択を今しているということになる。
まとめ
・リモートワークは単調になり易い
・単調に流されると、判断の先送りにつながり、不幸の選択を今している可能性がある
・未来に繋がるちょっとした変化を、引き起こそう。