どんなふうに扉は開くのだろう どんなふうに夜は終わってゆくのだろう~読書note-33(2024年12月)~
ミポリン(中山美穂)が亡くなった。自分より一つ下だがほぼ同年代の風呂場での突然死、ショックだった。デビュー当時、自分が苦手なつり目(キツネ目)女子だったので、同じ85年デビュー組で言うと、たれ目の斉藤由貴(ミスマガジンで自分も彼女に投票)やみっちょん(芳本美代子・部屋にポスター貼ってた)の方が好きだった。
でも、いつからだろう、急に好きになったんだよなぁ。今回の訃報を聞いて、自分のうっすらとした記憶を頼りに、直ぐにFODに再加入して、「すてきな片思い」(1990年10-12月期のフジ月9)を見た。やっぱコレだった。この次のクールの「東京ラブストーリー」の鈴木保奈美演じる「赤名リカ」が強烈過ぎて忘れてしまっていたが、このドラマのミポリン演じる、好きな相手に中々思いを伝えられない「与田圭子」がめっちゃ好きだったのだ。
とにかく、頻繁に入る圭子の「モノローグ」というか心の声が、本当に可愛くてせつなくてたまらない。「北の国から」の純の「拝啓、けいこちゃん…」、「逃げ恥」のみのりの「ひとり情熱大陸!?」等の妄想語りと並ぶ、日本ドラマ史上屈指のモノローグだと思う。
そんなこんなで、ミポリンを失った哀しみと今度こそマジで会社がヤバくて資金繰りに追われる胃の痛みから逃げるように、読書は平常運転で6冊読んだよ。
1.本心 / 平野啓一郎(著)
9月に「ラストマイル」を地元の映画館に観に行った際、この映画の予告を見た。池松壮亮と田中裕子が好きなので見たいなぁと思い、その前に原作読んでおこうと。10月の前橋ブックフェスで手に入れて直ぐ読むつもりだったが、テーマが重そうで中々手を付けることが出来なくて。結局、映画は見れず仕舞い。
平野さんの作品は初めて。格差が拡大し、メタバースが日常化した2040年代の東京が舞台。最愛の母を亡くした29歳の朔也は、AIで蘇らせた母のVF(バーチャル・フィギュア)を購入。VFの〈母〉(本文中もこのカッコ表記)と交流していくことで、晩年に「自由死(無条件で合法的な安楽死)」を希望した母の「本心」を探ろうとする。
話の前半と後半で、テーマというか作品の印象がガラッと変わる感じ。前半はその本心の探求とVFの〈母〉の存在を倫理的にどう受け止めるかの話だったが、後半は高校中退の朔也や母のかつての同僚の彩花らの貧しい世界(こっち側)と、デザイナーのイフィーらの裕福な世界(あっち側)を比べ、格差社会への諦念と生きる意味の模索へと移って行く。
「自由死」については、いずれ日本でも議論されるだろう。よく、いじめを受けた子どもや会社経営に行き詰った社長が自ら命を絶ったりすると、「命を粗末にしてはいけない」「命より大事なものはない」「生きてさえいれば、人生どうにかなる」などという人々がいる。自分はいじめを受けたこともあるし、会社も今にも潰しそうなので、そうする気持ちも分かる。
これ以上、生き地獄を耐えて生きろ、とは軽々しく言えないよ。その痛みや辛さは、その本人にしか分からない。誰にだって、自分の人生は自分で終わりにする権利があるのではないかと。自分も息子達に迷惑かけると思うと、「もう十分」と人生を終わらせたいと思うかも。あと少し頑張るけど。
毎日会社の資金繰りに追われる自分は完全にこっち側か。彩花が年中お金のことばかり考えるのが嫌でメタバースに逃げ込むように、吾は小説の世界に逃げ込むのさ。
2.きよしこ / 重松清(著)
20年位前に読んだ記憶があったが、古本屋さんで見つけて12月だしなぁと購入。TVで重松清さんがお話ししている姿を見た、吃音の男の子を持つ母親から、重松さんの元に送られてきた手紙がきっかけで書かれた作品。重松さん自身も吃音だったため、私小説のような本人曰く「個人的なお話」。
主人公の白石きよしは、カ行とタ行と濁点でどもってしまう少年。父の仕事の関係で転校が多く、その度に自己紹介での「きよし」が上手く言えず、皆に笑われてしまう。そのため、どうしても殻に閉じ籠ってしまい、友達も中々出来ない。
クリスマスの定番曲「きよしこの夜」を男の子の妖精か何かの「『きよしこ』の夜」だと思ってた小学1年の頃から、どもっても言いたいことを察してくれる彼女と別れてまでも東京の大学進学を決意する高校3年までの成長物語。
自分も小学校低学年まで吃音気味だったので、きよしの苦しみはよく分かる。きよしはどもるのが嫌で言いたいことを諦めることもあるし、必死に伝えようと興奮が抑えられないこともある。それが淡々と描かれているのだが、どの時代の話もちょっと切なくて胸に沁みる。
「それがほんとうに伝えたいことだったら…伝わるよ、きっと。」きよしこの言葉に勇気貰う。振り返れば、大切なことを言いそびれ続けた我が人生だったなぁ。
3.喫茶おじさん / 原田ひ香(著)
10月に読んだ「古本食堂」がとても面白かったので、その続編とコレを図書館に予約してたら、コチラの方が先に借りれた。建築会社を早期退職し、その退職金で喫茶店を開業するも直ぐに潰してしまい、再就職活動中で妻と娘と別居中の57歳、松尾純一郎が主人公。
一月「正午の東銀座」〜十二月「午前十時の淡路町」までの12章から成っていて、松尾が都内の喫茶店を巡り、珈琲(クリームソーダとかの時もある)とサイドメニュー(ナポリタンやカツサンドやスイーツ等)を食べ飲み歩く。いやぁ、どのお店も行きたくなるものばかり。
その喫茶店の描写と併せ、妻や娘や元妻、かつての会社同僚、バイト青年等とのやりとりがもう身につまされる。松尾が皆に言われる「あなたって、本当に何も分かってない」って言葉、我が別居中の妻や息子達や昔の恋人等々に、何度言われたことか。
そして、いつか喫茶店を開きたいと思っていて(松尾はもう実際に一度は開店してるが)、喫茶店巡りをしているところも自分に似ている。どう見ても自分なんかよりも冴えないおじさんなのだが、なんだかんだ言って決断して行動に移す松尾に憧れる。
これほど主人公に感情移入した小説はないかも。リアル“喫茶おじさん”の俺が断言する。モデルになった店を食べ歩いて、いつか絶対に喫茶店開こう。
4.光のとこにいてね / 一穂ミチ(著)
9月に「スモールワールズ」を読んで、凄い作家さんと出会ってしまったと思って、直ぐに市立図書館で予約した直木賞受賞作の「ツミデミック」の順番が一向に回って来なくて、昨年の本屋大賞3位の本作が先に順番が来たので借りる。
生まれ育った環境も性格も違う二人、結珠(ゆず)と果遠(かのん)の25年に亘る物語。医者の父を持つ結珠は、小学2年生のある日、厳しい母親に知らない古びた団地に連れて行かれ、母が男と密会している間、外で待っているよう言われる。そこで、団地に住む異常な健康志向の母と二人暮らしの同い年の果遠と出会い、母を待っている間に遊ぶようになり、互いに惹かれ合う。
しかし、突然、結珠の母親がその団地に行かなくなったので、果遠の前から結珠がいなくなってしまう。でも、果遠が結珠の通うお嬢様高校に入学してきて運命の再会を果たすも、今度は果遠が突然結珠の前から消える。そして、大人になってまたもや運命的に再会する。
結珠と果遠の交互の語りで物語は進む。とにかく文章が美しい、情景描写も心象描写も。それがせつなさを助長する。しかし、最初から最後まで胸のザワつきが収まらなかったなぁ。親友?恋人?ソウルメイト?何とも表現できない、そんなかけがえのない存在って。
5.儚い羊たちの祝宴 / 米澤穂信(著)
今月はミステリーを読んでないなぁと本屋さんの文庫コーナーを物色してたら、ラスト一行の衝撃みたいな帯が書かれたこの本が目に留まり購入。米澤さんは7月に読んだ直木賞受賞作「黒牢城」以来。
大学の読書サークル「バベルの会」に所属する夢想家のお嬢様達の各豪邸で起こる殺人事件の数々、大正から昭和初期の雰囲気を醸し出す5つの短編集。9月に読んだ小西マサテルさんの「名探偵のままでいて」同様、海外ミステリーの古典の豊富な知識を必要とする作品。まぁ、自分のようにその知識がなくとも充分楽しめるが。
名家のお嬢様達が主人公と言うより、その屋敷で働く使用人達が鍵を握る。いずれも見事な伏線回収があるのだが、中でも4話目の「玉野五十鈴の誉れ」が秀逸。と言うか背筋が凍る。誰もが知る「始めちょろちょろ、中ばっぱ。赤子泣いても蓋取るな」という、米を炊く際の教えがこれほどまでに恐ろしいフレーズとして胸に響くとは。ホントに衝撃のラスト一行だった。
しかし、こんなグロい話が続くとは思わなかった。タイトルに「羊たちの…」とあったから想像すべきだったが。そして、最終話「儚い羊たちの晩餐」は、圧巻の伏線回収によって「バベルの会」の消滅の真相が明かされる。海外ミステリーに詳しくなくとも、我々世代はあの似たタイトルの映画でピン!とくるはず。出版社のHPにあるように「暗黒連作」だったなぁ。
6.木曜日にはココアを / 青山美智子(著)
12/23(月)から急遽、父を我が家でワンオペ介護することになり、心身共に滅入ってしまったいた。なので、何かほっこりする物語が読みたいなぁと思い、積読中のコレをセレクト。青山さんは先月の「月の立つ林で」に続いて2ヶ月連続。これも「ザ・青山美智子!!」って感じの連作短編集。登場人物達がこれでもかっていうくらい繋がっていく。
色(カラー)がテーマの全12章から成り、章ごとに主人公(語り手)が変わる。第1章で出てきた他の登場人物が次の第2章の主人公となり、第2章の他の登場人物が第3章の主人公というように、数珠つなぎのように物語が続いていく。第1章の「マーブル・カフェ」の店主の話から始まり、場所も都内からシドニーに移って行き、第12章でまた「マーブル・カフェ」に戻り、店主が「ココアさん」と呼ぶ女性の話で終わる。
「月の立つ林で」では、全話の主人公達が同じポッドキャストを聴いていて、「赤と青とエスキース」では、文字通り一枚のエスキース(絵画)が全話を通じて共通のアイテムとなっているのだが、本作ではさすがに12話に共通するものはなく、強いて言えば主人公何人かが通う「マーブル・カフェ」と何人かの才能を導き出す「マスター」か。
文庫の帯に「わたしたちは、知らないうちに誰かを救っている」とあるが、ホントそう思う。今日おせちを買いにヤオコーへ行ったら、「くわちゃ~ん」と去年まで読み聞かせボランティアをやっていた地元小学校の女の子6年生3人組に声かけられた。凹んでたけど、君達の明るさに救われたよ。
そして、青山さんが描くこんなにも温かい物語の数々に救われた。多分、今、ココアを飲んだら、泣いてしまうかもしれない。
「ただ泣きたくなるの」はミポリンの曲で一番好き。1994年のTBSドラマ「もしも願いが叶うなら」の主題歌だが、まるで冒頭で紹介した「すてきな片思い」の世界観を歌っているよう。タイトルに挙げた歌詞は、誰かを愛し始めた恋の入口の心境やこれから始まるであろう恋への期待を見事に表している。
でも、自分の残りの人生に対する今の心境にも当てはまる。会社も潰れるか潰れないかの厳しい状況の上に親の介護が加わって、ホント泣きっ面に蜂状態だ。しかし、本記事のトップ写真のように、親友が代表を務める放課後等デイサービスでサンタ役をやって、サンタを信じる子ども達の純粋に瞳に心洗われることもあるし、上述のようにスーパーで子ども達に明るく声かけられて元気をもらうこともある。
辛いことばかりでなく、少しでも訪れるそんな楽しみや喜びを心に留めて、生きて行くしかないのかなと。それと、現在介護職で今回の父のことで久々に長く話した別居中の妻との扉が再び開くのを信じて。